ひとりごつ


まえがき

「noteに今の感情を書きたい。」
この気持ちを先日の夜からある曲を聴いて思い立ったので書きます。
noteに書くからといって、きれいに構成を整えることはしません。
思いついた言葉を選びながら書きたい言葉を書く。
誰かに向けて何か目的をもって書くわけでもないです。
自分の感情を赤裸々に言うなら…今抱いている気持ちを忘れたくない。

人は同じ過ちも後悔も繰り替えす

大学時代に、このような言葉をいただいた覚えがあります。
その時に「自分は大人になったら、子どもの頃の失敗をしないぞ!きっと大丈夫!」などと頭の片隅に聞き流しました。

片隅から気持ちのど真ん中にでてきた

結局、同じ失敗を1つや2つに収まるどころからたくさんしました。
そして、中々「同じことを繰り返す」という言葉は思い出せなかった。

きっかけは気持ちを言い当てられたこと

先輩たちと飲んでいる中で自分の行動を言い当てられたことがきっかけで、いろいろと考え大学時代にいただいた言葉が思い浮かびました。

自分の嫌な部分も受け入れろ

自分が中学から社会人に社会的になった今に至るまで、人や感情など自分が嫌なものから逃げ続けていたことを言い当てられ、ちょっと楽になりました。
理由はわかりませんが。

嫌な部分を受け入れる

ではどこが嫌なのか?
俺はよく、「言葉ばかりで行動しない自分が嫌いだ」と思っています。
だけど何も変えるために行動ができていない。
正直、一歩踏み出すことがめんどくさいのか?わからないですが、なぜがただ考えて同じことをぐるぐるして…何も変わっていない。
そんな自分が嫌いなのだと思いました。

けど、それはきっと違うんだと思います。
弱音を吐くので見苦しいですが…。

俺自身の嫌な部分

なにかを失ったり、自分が何ももっていなかったり可能性がなくなっていくのを実感したり…自分が失敗する現実だったり…そういうことが嫌だし怖くて受け入れられていない。
いい人になりたいと考えつつも、結局は周りの目が気になり狡い考えをする。
それも受け入れられない。
自分は夢があって、将来うまくいくんだ!けど、今はその夢がよくわらない。
それはでも嘘でもある。
実際に少し夢を一歩踏み出して「なんか違う」とかおもっていた。
いや、ちょっとやっただけでわかったきになって毎日の努力から逃げている根性なし。

逃げて逃げて逃げ続ける。

いろいろ言い出したらきりがないが、嫌な部分はたくさんある。
そしてそれを「受け入れる」のはよくわからない。
最近、コミュニティーで生きるには、行動で示すことが大切なんだろうな~と思っているのだが、「受け入れる」を行動にどう表現すればいいのだろうか。
何をしていたら受け入れているのだろうか。
そもそも行動に対して周りが「受け入れられている」と評価/レッテルを貼られたら俺は受け入れることが「善く」できているのだろうか。

俺はそうは思わない。

マーケティング

大学時代、俺は何をしたら頭の中に抱いてた身勝手な理想を実現できるか悩みながら動いていた。
その中で「マーケティングを学べば何か切り開けるのではいか」と考えていたのだが、●●な人から(※尊敬し、かつあこがれていた憧れ続けていたい人)からマーケティングをしたからといって何も解決しなよと言葉をいただいた。

皮肉

俺はその言葉を「まったく意味がわかっていない/いなかった」。
今もわかっているかわからないから、わかっていないと書いている。

ただ、昔とマーケティングとかスキルか何かかっこいい言葉に逃げるのは違うとの言葉の意味の捉え方が変わった。

皮肉にもマーケティングを仕事として実行している会社に入社してからだ。
そう…俺には何も刺さっていなかったかもしれない。
結局、切羽詰まって自分からでた「弱さ」の塊のような本性には響いていなかった。

皮肉だが、そのことにマーケティングをする中で違和感を気づき、初めて気づいた。
逃げていたのだと。

変わったことを受け入れる

俺はよく自分の感情を文章化するときに、過去の自分のまま変わっていないと書いている。

今回もそのつもりで、昔の写真を投稿のトプ画に設定しようとしていた。

だがこの投稿を書くなかで、自分の感情が整理されたのか、自分の気持ちを吐き出してすっきりしたのか、理由はわからないが…自分が変わったことを『知る』ことはできた。

逃げている自分を知れて自分のことメタ認知できている!とかとか言って、自分の自己肯定を上げる空っぽなことは書かない…。

とかいいつつも、結局は空っぽな感じなことを書くのが俺「らしく」もある。

おそらく俺は、歳は変わって周りの人間関係も変わって自分への周りが求めることも変わった。

そしてこれは社会人になったから変わったのではなく、日々変わっていた。
ただ、俺はそれから目を逸らし続けていたのだと思う。

親からPCを貰った時も、チームがバラバラになった時も、大学合格発表日の前日にほかの大学のパンフを渡されたときも、就活で悩み続けて結局「噂や他人の言葉」にすがって志向と思考を放棄したときも、今この瞬間も。

きっと変わり続けていた。
ただ、今まではそれを気づけなかった。

俺が変われば、俺がすごくなってもっともっと優秀って周りに信頼されることを成し遂げたらいい!と、自分の殻に逃げていた。
だから、気づけなかった。

それに、気づいた。
だから、受け入れてみようと思う。
いや、気づいたのだからもしかしたら、「受け入れられた」のかもしれない。
自分が「目的/夢/志」という淡い壮大な言葉にすがって、自分が嫌なことや周りも自分も変わり続けていたことから逃げ続けていた…目や頭を盲目にしていたことに。

ただそれだけ。
NEXTは知らないし、まだ思いつかない

会社の日報では何か学びや気づきがあると「じゃあ次にどうするの?どう仕事に活かす?」までアウトプットすることが習慣化している。

けれど…なんだか、今回は書きたくないわけではないが、正直…何をするかを思いついてはいない。
だから書かない。

最後に

自分の欲を受け入れたいと思う。
なんだかNEXTとか次になにするか~っぽいことを言っているが。
しかし、これだけはなんだか最後に言いたい。
こういう欲をもつことがいい!とか、そういう理想や淡い空想は皮肉にも
「マーケティングの数以上は存在している」と思う。
だから、マーケティングではなくて、自分の欲を受け入れてみようと思う。

終わり

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