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そもそも介護施設とは何なのか 介護施設の課題Ⅲ-1


1.介護施設における「人間・空間・時間」 

 そもそも、介護施設とは何なのでしょうか?
 介護施設を介護施設たらしめている要因について考えてみたいと思います。 

 上野千鶴子(社会学者)さんは施設度についての岡本和彦(東洋大学教授、建築学者)さんの見解を紹介しています。

 『わたしたちの共同研究者のひとり、建築学者の岡本和彦は、「施設度」(「施設っぽさ」)とは何だろう、と問いを立てて、次のように答える。
施設度を決定するパラメーター(変数)には、(1)人間、(2)空間、(3)時間の三つがある。そのそれぞれについてまとめると以下のようになる。[長澤・伊藤・岡本2007:198-201]
(1)人間:少数のスタッフによる入居者の集団管理、制服による統一感や年齢・性別などの属性の共通性の高さ。
(2)空間:周囲から孤立し、入居者の生活が施設内で完結している度合が高い。
(3)時間:プログラムが細部まで決定され、また集団プログラムが多い。時間の無限定性が高く、いつ帰れるか(退去できるか)がわからない。
 以上の三つのパラメータにおいて、人間の一斉的な管理、空間の自己完結性、時間の管理と無限定性が極大に高まると、施設は「全施設化」し、入居者にとって施設は「全世界化」する。と岡本は卓抜な表現を与える。』

引用:上野千鶴子(2011)『ケアの社会学』太田出版p209

 ここでいう施設度とは要するに、在宅介護とは違う、「施設っぽさ」ということですが、この施設度を決定するパラメータ(変数)は、人間、空間、時間の三つだとしています。
 岡本和彦さんの施設度は、失見当識[1]の基本三領域である時間、空間、人間に対応して施設度を整理していることに注目したいと思います。
 私は、時間、空間、人間の均質化、硬直化によって入居者の失見当識が助長されるかもしれないと思ってしまいます。

 私は介護施設の規模の大きさも施設度、施設っぽさを構成する一つの大きな要因ではないかと思います。
 介護施設は入居者にとっては他者との集団生活の場ですが、一緒に生活する集団の規模(定員数)や建物の大きさも施設度の大きな要因ではないでしょうか。集団が大きければ大きいほど、非日常的な大空間となり施設度、施設っぽさが高まると思います。
 巨大な介護施設は普通に生きてきた人にとっては非日常的な世界、違和感のある世界なのです。

2.介護施設の価値

 介護施設にはその存在理由、価値がなければ、この世に存在できません。この介護施設の価値とは何でしょうか?

 介護施設は入居者にとって次のような利点が考えられます。

  • 365日24時間、専門家の管理の下で安心して生活できる。

  • レストラン、リハビリ室、図書室、娯楽室、集会室、医務室、ロビー、相談室等々の自宅にはない専門的で立派な設備がある。

  • 専門的な介護サービスを受けることもできる。

  • 四季折々の行事を楽しめる。

  • 入居者同士及び職員との交流もあり楽しい。

 しかしながら、介護施設には次のような欠点もあると思われます。

  • 集団生活なので時間規則、行動規則があって我慢しなければならないことが多い。

  • 施設が広すぎて馴染めなかったり戸惑ったりしてしまう。

  • プライバシーがない。

  • 他の入居者との人間関係が煩わしい。

  • 暇で暇で死にそうになる(空虚放置)。

  • abuse/虐待される恐れがある。

 このように入居者にとって介護施設は利点も欠点もありますが、喜んで介護施設に入る人はいないのではないでしょうか?

 介護施設の特性を私なりの言葉で整理するとすれば、「介護施設とは介護ニーズをもった入居者たちの集団生活の場であり、入居者や職員集団の均質性、日課や週課などに代表される時間規制や行動規制などの人間の行為・行動を管理統制する非日常的な異空間」という感じでしょうか?

 端的に言えば介護施設は、障がい老人のパノプティコン(一望監視施設)ということになると思います。

 メリットよりデメリットの方が多い介護施設になぜ障がい老人が入居するのか?
 それは、家族関係上、社会関係上、他に選択肢がないからということなのでしょう。もちろん、入居を決めるのは当事者(障がい老人)というより、家族が決定することの方が多いのです。
 この決定に影響を与えているのが、社会的・経済的要因なのだと思います。

3.介護施設の社会的・経済的存在理由

 昔、私の働いていた介護施設のフランス人神父の施設長は日頃から「在宅介護は贅沢介護だ」と言っていました。ということは、「介護施設は貧弱介護」ということになります。

 在宅で訪問介護や訪問看護、通所介護や短期入所などを利用して障がい老人を介護するとして、24時間、365日支えていくには多くの人手が必要となります。基本的にはマンツーマン、つまり、1:1の介護ということになるでしょう。
 そしてこの負担は、多くの場合は家族、しかも無償労働として女性にかるのです。これを有償労働とした場合、膨大な経費が掛かることになります。

 しかし、介護施設は公的には「入居者」対「介護・看護職員」の配置は3:1とされ、この配置基準を基に介護報酬も決定されています。ということは、在宅介護の1:1と比べれば、1/3の人件費で障がい老人の介護をしていることになります。
 私はここに、介護施設の社会的・経済的な存在理由があるではないかと思っています。国は、在宅介護では家族、特に女性の無償労働にタダ乗りしつつ、介護施設では安い経費で済ませようとしているのです。これを経済合理性というのでしょう。
 ここにきて、国は、ICTなどへの投資、生産性向上を条件に、介護施設の人員配置をさらに削減しようとしているのです。
 介護産業にもますます経済合理性、生産性向上を強いていくのが現代の資本主義なのです。


[1] 失見当識とは見当識障害のことで、自分の名前や年齢、立場、日時、曜日、自分と周囲との関係、自宅の場所、距離、道順などを把握する能力が障害された状態をいう。

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