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ジャマイカ音楽#4
サウンドシステムではライバルがかけていないレコードを入手するのに躍起になっていましたが、米国でリリースされる音源には限りはあったと思います。そして米国音楽のトレンドの変化に影響を受けてしまいます。1958年頃にはジャマイカの人たちがサウンドシステムで踊るの好みのR&Bのリリースが減ってきてしまったようです。
そこでサウンドシステムが主導してジャマイカのミュージシャンによるR&Bが録音されレコードとしてリリースされ始めました。好みのR&Bのレコード足りないなら自分たちで作ってしまえって感じでしょうか。それがジャマイカの音楽であるSKAが生まれていく直接的な要因となっていきました。
そしてこの動きがサウンドシステムのレコードレーベル化の第一歩であったのです。サウンドシステムは庶民階級の娯楽の場というだけでなく、自国の音楽を作り出す場となっていくのです。
その中でもSka、Rocksteady、Reggaeとジャマイカ音楽が移りゆく中で最も重要な役割を果たした2つのサウンドシステムが、のちにジャマイカ初の黒人オーナーのスタジオ「Studio 1」を設立する、クレメント “サー・コクソン”・ドッド(Clement "Sir Coxsone" Dodd)の「サー・コクソン・ザ・ダウンビート(Sir Coxsone The Downbeat)」。もう一つはレーベル「トレジャー・アイル(Treasure Isle)」を設立する、アーサー・”デューク”・リード(Arthur "Duke" Reid)の「トロージャン(The Trojan)」でした。
この2つはまさにライバル同士、ぶつかり合いはサウンドクラッシュだけではなくマフィアの抗争さながら引き抜きや暴力事件もあったようです。 どちらも所属しているサウンドマンは後にジャマイカ音楽史に名前を残す人たちが名前を連ねていました。
今も続いているサウンドクラッシュのようなものすら、その当時にあったとすると、重ね重ねにはなってしまうのですが現在のクラブカルチャーの雛形ではないかと思わざるを得ません。
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