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自己肯定感というBussWordその11

真面目なやつら

 あたしが育った家において、子供であった自分が、自己肯定感を育むためにエッセンシャルだった要素の3つ目、「いわゆる真面目さ」の話をします。マジメってとかくつまんないでしょ?しかしそのつまんないものも含みつつ、真面目さって非常に幅が広いんですわ。

 真面目の定義の広さを考える時に、「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人が使っていた、「努力教信者」という、ある種非常に皮肉で客観的な言葉を思い出してしまいます。彼が彼独自のコトバで、いわゆる努力をしてなりたいものになろうとすることすら「思いつかなかった」、そのぐらい自己肯定感を毀損されて育った「埒外の民」であった、と語った手記はショックでした。殆どの人間は努力教信者として社会に接してゆくわけですが、彼はそこに入れなかった、ってことですよね?つまりこの世の中で異教徒だったわけです。
 もしかしたら真面目と努力は同一視してはいけないものかもしれませんが、あたしの中では同じ地平にあって、手を取り合っております。このような結び付き方の風景も、単に信者間における刷り込みに過ぎないのかもしれませんが。

 あたし自身は立派に「努力教信者」であり、埒外にいたわけでもなんでもありません。ただちょっと信者としてクオリティが落ちる。そして、我が家という囲われた場所においては一番下層にいて、全くエラくないんだわね。 父も母も弟もみんなコツコツやりますんで、それが当たり前で、成果も出すのでコツコツ教義の価値は全く揺らがない。だから自分も努力すりゃいいんだ、ってことはわかりきっているわけです。だけど、体が動かないというか、だるいというか、なんかそんなんじゃなくてうまくいく手はないだろうか?とか、なんかこういうのとは関係ない別の世界に住んでいたいなー、宇宙からの光とか浴びたらいきなり足が速くなるとか、お薬を注射したらカンフーができるようになっちゃうとかだったら楽しいーとか、逃避的なことを考えがちなガキだったわけですね。

とっても地味で密かで真面目なバトル

 三日坊主ってコトバがあるけど、我が家にはそういうのってなかったです。始めたことはだいたいコツコツすこしずつ、何年も続けるという感じです。
  母はお習字をしていて、それが趣味でしたが、いつの間にか師範級になりました。「でも教えるとなったら他のことが犠牲になるから、そんなことは手を出さない」と言ってました。

  父も数ある趣味の一つがお習字で、長年やっていたのですが、最初からある程度うまいタイプで、書いては自分で悦に入る、みたいな雰囲気でした。通信教育みたいのを受けて、励みにしていたようですが、世界を広げたら自分がさほど抜群ではないこともわかったようで、悦に入ることは減ったけど、目が肥えてきたらしく、好きな書道家の図版をあつめては、あたしにその良さを「教育」しておりました。(父の仕事は教師ですが、その仕事に適性がありすぎて、日常でもアウトプットの殆どが人に教えるという形で出てくるため、そうなるわけです。何か取り込んだら必ず何か授業をしておりました。そういう人間なのです。小学校の書道の宿題とかは、あたしは父の手ほどきをうけてこなしておりました。)

 ふたりとも趣味が書道なのに、なんか接点はまるで無く、あたしはなんでかなー?と思いながら幼い時からそれをながめていたんですけど、何年もかかって、高校生頃にその理由がわかりました。
 なんかのときに父が、うまく書けない、自分の字が気に入らない、とブツブツ言っていた時、母は、あたしにだけ聞こえるように(つまり父には聞こえないように)「ふん。そんな数枚書いたぐらいでうまくいくわけがないじゃない」と言いました。

 あたしははっとして、その時に初めて母の人知れず書かれる墨文字を、意識して観るようになりました。(父はその日一番かっこよく書けたものをそのへんの壁に掲示したりするんで、父の文字はよく見ていたのですが、母のは見ていませんでした)
 自分も成長して審美眼みたいのが育っていたわけですが、母の文字はとても母らしく、ゆったりとふくよかで気持ちのよい文字だと思いました。上手とかそういう価値観ではなく、よい性質があるような感じ。
  それに気がついてから父の文字をみると、なんだか急に安っぽく見えたのです。カンタンにいうと「なめてんな」みたいな?形よく表層をうまく滑っているけど、なんだか自分の中に降りてゆくものが足りないのです。もしかしたら父の言う「上手く書けない」というコトバも、上手く見えるような見かけのものができない、という意味でしかなかったかもしれません。つまり父の文字はものほしげに、「うまいでしょ。うまいと思ってちょうだい」としゃべっており、父がいう上手く書けた文字は「どうだうまいだろう」と自慢しているかのような「作風」なのでした。

 あたしは非常に大きな発見をしたように思い、宇宙の光線を浴びたらとかお注射一本でなんとかとか、そういう事を考える自分を反省しました(一瞬だけだが)。
 あたしの中には父のような自分も母のような自分もおります。でも性質のよい作品というものに向かいたいと思いました。うまいだけでは届かない世界です。

 正直いうとその頃の自分の絵は、表層を器用にすべって見かけを取り繕うようなところが無きにしもあらずで、それは宇宙光線願望のバリエーションでしかなかったかと思います。たいして上手くもないのにうまいふりをしてどうするんじゃ?いや、なんかかっこいいものを形だけでもマネたくなるのがティーンズってもんでもあるわけですが、そして自分の中身がそもそも薄いのだが、しかし。浅はかな了見は絵をみたらバレちゃうんだよね。
 むしろ中年期の父が、その高校生程度の精神性にとどまったお習字をしていることのほうが問題だったかもしれませんね。母に言わせればそれは、自分がうまいと思って、ちょっとしか書かないで来たからからだ、ってことになるんでしょう。長く続けてはいたのですが。

 つい数日前、つまりあたしが高校生だった時から40ン年も経った今になって、娘が母のお習字指導のことを思い出しました。娘は毎年書き初めの宿題を、実家の母に指導されながらこなしておりました。あたしは書道が得意じゃないんで、そういうのは外注。父は早くに亡くなっていたので、母@師範級が担当だったのです。
 娘は何度言われても正しくまっすぐに筆を持つことが出来ず、あんまり人の話を聴かず、明らかに指導しにくい子だったのですが、その孫に、母は非常に根気よく、何度も何度も教え直していたといいます。そして自分も、何度も何度もその字を書いていたそうです。はい、筆はこう持って、もう一度やりましょう、もう一度、って。

 その話は昔弟からも聞いていて、ばあばのあの根気は俺には到底マネができない。なんで同じことを何度も言わせるのだ、と頭にきてしまうだろう、と言っていました。繰り返しだけが何かを成すのだ、と、弟こそがよく知っているはずなのですが、それをイライラせずにやるのは難しいらしい。いや、自分が繰り返すことには耐えるのですが、人にやらせるのが難しいのか。他人への指導というのは根気が主成分なのです。

 弟には自転車とか縄跳びとかの指導を「外注」してたのですが、そういえばよく泣かせておりました。あたしは日頃いろんなことでこの娘と関わってましたんで、弟が泣かせてしまうのも無理はないなーと思ってました。いや、ほんとに指導しにくいのです。
  ともあれ、この子が、ばあばとお習字をしたときに、泣いていたことはありませんでした。母は根気というのものを、やってみせることで示すのです。

 ね?うんざりするほど真面目な家でしょう?あたし自身、2歳半から毎日ピアノのおけいこをしていたのです。それがこの家の文化であり、メンバーの資格ですらありました。18歳に届く手前まで、弾かなかった日ってどのぐらいあるんだろうか?全然なかったとは言わないけど、旅行中ですら、父は出先で何かしら場所をみつけて鍵盤に触らせる工夫をしてたぐらいです。泊まったホテルのピアノを借りたことも、別荘地でピアノのあるお宅にわざわざ頼みに行って弾かせてもらったこともあります。

 ところで。宇宙光線願望があるようなガキだったあたしが、この努力家の家からはみ出す方に行かなかった理由は、数々の刷り込みの他に、強烈なストッパーもあったからだと自己分析しています。
 それは父の一番上の兄、我が家によく遊びにきていた伯父で、大変な困ったちゃんで、親戚中に迷惑をかけまくっていました。しかしこの人は呆れるほど手先が器用で、話もうまく、みかけもよくて、要領がよかったりする一面がありました。ことに音感とかが抜群で、すぐ楽器ができたりするのです。
  コツコツやる父とすぐできちゃうその兄というのを見ると、「素質」ってものに注目しないわけにはいかないです。だけど、この伯父は、実はほとんど何ひとつとして、モノにすることがなかったのです。正確に言えば「なにひとつとして」は言い過ぎですが。

この項つづく。

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。