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緩和ケア病棟はこんなところ

緩和ケア病棟とは

 希望していた緩和ケア病棟に母を入れることができたという話の続き。

 病院にほとんど毎日通っていた2か月半の間、印象的なことがいくつかありました。いつも同じようにエレベーターに乗って病棟に行くのですが、たまにそのエレベーターの中で話しかけてくる人がいるのです。

 入院というのは一つの非常事態だし、誰かと話をして落ちつきたいという精神状態の人はたくさんいるんでしょうね。話しかけてくるのはほとんどが年配の女性ですが、季節の挨拶とかじゃないのです。いきなり本題に入るようなしゃべり方です。

 ある時近所に行くようなラフな格好をしたおばあちゃんが、「夫が今日緊急入院したんです。急だから食事が出ないので、今これ買って来たんです」といいながら、両手に下げたスーパーか何かの白い袋をを持ち上げて見せました。
 化粧っ気もなく、髪は乱れて息を切らしていました。入院の用意やら手続きやら、きっとたくさんのことを短い間にこなして、ご主人はベッドに落ち着いたけれども、今日の分は夕飯は用意できないと言われて、走るようにして買い物に出たのでしょう。

 とても必死な面持ちでした。大変そうでした。
 またあるおばあちゃんが、私が緩和ケア病棟がある最上階のボタンを押すのを見て、「緩和ケアというのはどういうことろなんですか?何をするところなのですか?」と質問してきました。

 「積極的な治療をするのではなく、病気による痛みや不快を取り除いてくれるところです」とあたしは答えました。

 すると、「夫がもう治療は嫌だと言うのです」と言って涙ぐみました。「食べてくれるんならまだいいですが、もうあんまり食べてもくれないのです」と。
 

 少しでも母に食べて欲しいのはその時のあたしも同じでした。良くなるため、ではなく、少しでも長くいてほしくて食べて欲しい。
 一瞬で彼女の気持ちがわかりましたが、何と言っていいのかわからず、うなずくしかできませんでした。

設備や配慮が行き届いている


 あの人の旦那さんも、緩和ケアへの転科を希望したでしょうか?
 入るのが難しいのを知ってましたから、科のメリットについて話す気持ちにもなれませんでした。なれませんでしたが、本当にはいれてよかったと毎日思っていました。

 緩和ケア病棟(PCU)は全部が個室です。それがまずよかったです。
 母は耳がよくて、他の患者さんの声が気になります。

 病院の多くは耳の遠い老人で占められていますから、大きな声が飛び交うのです。看護師さんたちも、患者に対して、大きな声でゆっくり話すのを癖にしていることが多いです。


 母にはそれはとても違和感のあることで、むしろ人がいるところなのだから、内緒話のように小さな声でしゃべるのがマナーだと、本能的に思うのでした。

 でも個室なら家に居る時のように、くさくさする時に独り言いったり、あくびの時に声を出したりもできます。


 オムツを替える時も、臭いその他、他人に気を使わずにすみます。
 トイレやシャワーも個室ごとについており、洗面台もあります。母は使えませんが、あたしたちにはありがたい事でした。
 

 面会は普通の病棟は夜9時までですが、PCUは24時間、出入りできるようになっていました。

 デイルームというスペースがあり、ソファやテーブルがあり、電子ピアノとコンピューターが置いてあって、自由に使えるようになってました。

 見舞いに来る子供たちのためのおもちゃや、家族のための文庫もあります。


  有料の個室には充分な容量の冷蔵庫もありました。その他に共同の台所と大型冷蔵庫があり、電子レンジとティファールの湯沸かし器とIHがあり、鍋釜やら食器があり、簡単な調理ができるようになっています。あたしはそこで食欲が落ちた母のために家で作ってきたものをあたためたり、果物を剥いたり刻んだりしておりました。

看取りの場所とは限らないけれど

 中には病棟から職場に通う患者のケースもあるそうです。

 ストレッチャーや車いすに移さなくても、ベッドのまま出られるお庭もあって、希望すれば外気に触れることもできるし、いろんなことが自由でした。

 小さなソファベッドがあって、家族がいつでも泊まれるようになっているのも特徴です。母の容体が変化するにつれ、1人になるのを嫌がりましたから、あたしは夜泊まり込むことも多くなりました。


 28年前の、父の時のことを思い出しました。その時も家族がそうしていたのです。あの時の簡易ベッドに比べると立派なものです。
 
 ずうっとそこで暮らしているようなご婦人もいました。
 旦那様が入院しているのですが、彼女は昼間は自宅に戻ったり仕事にでかけたりしますが、夜は必ずいるのでした。

 旦那様はいろんな治療遍歴ののちに、ここに来たのだと話していました。その奥さまと台所でたまたまあったりすると、彼女はお話が止まらなくなるようでした。

 ここにある程度いるひとたちは、患者同士も含めて、その家族も、そのように交流ができるんだろうなあと思いました。くわしく話さなくても、抱えているものが同じだから解り合えるものね。

 でもひとりまたひとりと消えてゆく場でもあります。

みんな音楽も聴きたい

 ある時弟がデイルームの電子ピアノを弾いていたら、いつの間にか病室からたくさんの人が出てきて、聴き入っていたことがあったそうです。


 看病するご家族や、お見舞いのお友達が、個室のドアの向うにたくさんいるのです。
 弾き終わった時に拍手があったそうです。

 弟はプロの音楽家です。病院の人が「どうせならミニコンサートをしたらどうか」と提案してくれました。

母にも気晴らしや刺激があったほうがいいと思っていたところでした。
 「じゃあねーちゃんは歌うかな」とあたしは言いました。
 伴奏をしてもらって歌えそうな曲はいくらでもありそうでした。弟はいろいろ厳しいですけどね(苦笑)。

 「じゃあ告知をして、誰が聴きに来てもいいってことにしていいですか?」と病院の人も言うので、あたしたちの都合が合う日をきめました。

 看護師さんたちが一番忙しい時間を避けて、日曜日の3時、と日取りを決めました。
 お話が止まらなくなるご婦人が、「やる時は絶対に声をかけてください」と言いました。


 母のためにそのように「予定」ってものをたてて、楽しみにするっていうことも、できるんだけれども、病状はその予定よりも優先します。

 あたしは手帳に予定を書きこむ時に、それを予感していたような気がします。
 コンサートは、予定通りには出来ませんでした。

つづく


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。