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相互理解のポイントは過不足のない情報量

おはようございます、こんにちは、こんばんは。SyncBody代表の三田です。

仕事柄、いろんな方と話す機会があり、その度にコミュニケーションや信頼関係の構築には相互理解が大切だなぁ、と学ばせてもらっています。

今回は僕が人との会話で気をつけていることをお話します。

それは

相手の情報処理のキャパを判断してキャパオーバーになるほど伝え過ぎないこと

つまり過不足なく伝えること。

表情や目線を見てたら
「お腹いっぱい」
「理解までに情報が足りてない」

だいたい分かるから。

分からなかったら聞けばいいんだし、
「あの・・・この言い方伝わる?」って。

僕の言葉遣いや表現方法に対して、

少しずつ相手の情報処理速度が上がってきたら、
自分の伝える量や言葉遣い、抑揚を変えていく。

って思ってるけど、実際難しいのさ。笑

言ってることを理解するだけが他者理解ではない

他者理解って言葉選びだけじゃなくて
相手のどの能力も知ろうとした上で、
こちらがアクションを起こす。ことだと思うのね。

「生理的欲求」の上に
「感情」「情動」があって
その上に「理性」「論理」がある

つまり、会話の相手が感情的だろうと、冷静に論理的に話していても、
必ずその下の階層に依存しているってこと。

(実はここは僕の専門である身体の動きに関係ありまくりなのですが、それはまたどこかで)

感情的な人は、「生理的欲求」の何かを伝えようとしている。

論理的に話す人は、さらに「感情」や「情動」を伝えようとしている。

ヒトとして、もちろん感情的になることは当たり前のこと。

しかし、毎度のように自分で感情のコントロールがバカになっている自覚がなかったり、振り返ることがないほど理性や論理に欠けた筋を通さない言葉選びは

思慮にかけるというか、
サルとか他の霊長類のそれと同等かと。

相手を感情的にさせるって相手から論理的な思考や、理性を奪うって行為。

相手を屈服させたいドアホウは好むかもしれない。
あと、相手の本性というか本質的な部分を引き出したいなら、
相手の感情を引っ張り出してくる。(DaiGoも言ってた笑)

というのも方法としてあるっちゃある。

ただ、これらは到底建設的だとは思わないし、
ましてや話し合いをしたいと思うなら、

まず選ばない手法だよね。
話し合いと相手を丸め込むのはまるで違う。

双方向の会話ができた上で

それで、理解が全く出来ないってなったら、
単純に関わるべき人ではなかったって話だし。

それこそ、価値観の違いとか、宗教観の違いとか、
そういうレベルで。

違う宗教はお互いを理解しきれないし、なんなら戦争の原因だし。
風習とか慣習とか、こういうものだ!で済まされちゃうこととかもそう。

「はいはい、そういう価値観なんですね、
それはそれで分かりましたので、
金輪際関わるつもりはございません」ってやつ笑。

なかなかここまで割り切ることを決定する場面も少ないと思いますが、
毅然とした態度で接するというのは、やはり難しい。

まだまだ僕は未熟者です。精進します。

生涯修行

三田

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