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#30.「嫌いな人」こそ、私達の良き修業の場

私達の人生には、時として「嫌いな人」との出会いがあります。これらの人々は、私達の日々を難しくしたり、不快な感情を引き起こしたりすることがあります。しかし、今日は、嫌いな人々が私達にとって、自己成長のための貴重な機会を提供しているということを説明したいと思います。

まず、人を嫌う理由は、しばしば私たち自身の価値判断に揺らぎが生じるためです。私たちの価値観は、過去の経験や教育、文化的背景によって形成されます。これらの価値観は、他者との相互作用を通じて反映され、時には自分自身に挑戦してきます。嫌いな人は、しばしば私たちの価値観や信念を問い直させる存在であり、自己認識を深める機会を提供します。

例えば、ある人が極端な意見を持っていると感じる場合、それは自分の信念が固定されすぎていることの現れかもしれません。このような状況は、自分の意見や価値観を再考し、より包括的な理解を深める機会となります。嫌いな人との対話を通じて、自分自身のエゴや偏見を探り、新たな視点を得ることができます。

さらに、「嫌いな人」は、私たちの耐性と寛容性を試す存在でもあります。私たちは、嫌悪感や怒りといったネガティブな感情を感じることで、これらの感情をコントロールし、より適応的な方法で対処する方法を学びます。例えば、職場での困難な同僚との関係を通じて、感情的な反応を抑制し、冷静に問題を解決する能力を磨くことができます。

また、嫌いな人との関わりは、私たち自身の内面を深く探求する機会を提供します。自分が何に対して敏感に反応するのか、どのような価値観に基づいて人を判断しているのかを理解することは、自己成長に不可欠です。自分の内面に潜むエゴや不安を明らかにし、それらを克服することで、より成熟した人間に成長することができます。
これは、コーチング、NLP、心理学や人材開発系の研修会社で学ぶ事に匹敵しますし、継続的に自身を成長させる最も適した教材です

嫌いな人との関わりは決して簡単なことではありませんが、これらの経験から学ぶことは計り知れません。彼らは私たちに、自己認識を深め、柔軟な思考を育む機会を与えてくれます。嫌いな人を避けるのではなく、彼らとの関わりを通じて自分自身を成長させるチャンスと捉えることで、私たちはより寛容で理解ある人間になることができるのです。辛いですけどね。

嫌いな人は私たちの成長のための重要な触媒となり得ます。彼らとの関係は、私たちの内面を深く掘り下げ、自己認識を高める機会を提供します。しかし、このプロセスは容易ではありません。
自己探求は、しばしば我々のエゴや最も深い不安と向き合うことを意味します。それでも、この挑戦を乗り越えることで、私たちはより自己を理解し、成熟した人間として成長することができるのだと思います。
「人生は修業」と私がよく言うのは、この側面を指しています。

次に、そこにどう立ち向かうかについても触れておきます。

1. 感情の認識と管理:
嫌いな人に対して感じる感情を認識し、なぜそのように感じるのかを自問自答します。まずは、自身の感情を否定せずに受け入れて下さい。そうすることで、貴方の中の「感情」というパートは癒され、次第により合理的な行動をとるようになります。変なことを言っているよう見えるかも知れませんが、感情は部下(#8)であり、肯定的意図を探る(#29)のは、自分自身にも当てはまるのです。

https://note.com/synapswitch/n/nc1e5f954f69d



2. 感謝の心を持つ:
嫌いな人もまた、私たちの成長に貢献しているという事実に感謝します。この感謝の心は、困難な関係を乗り越えるための強力なツールとなります。そうすると嫌いと言う言葉が、固定された価値観を持たなくなってくるでしょう。


3.イシキする:
私達は感情、身体感覚、思考の自動運転に任せて眠っている王様であってはなりません。
王様、つまりイシキはより広い視野を持って部下と共に生き、八百万のイシキと共により良き社会を感謝の心で満たしていきます。
(意識と書くと思考的な事と捉えられる可能性があるため、敢えて俯瞰的な視野であるイシキと書いています)

何度も繰り返しますが、嫌いな人との関わりは、私たちにとって非常に価値のある学びの場となります。それは私たちの内面を探り、自己認識を深める貴重な機会を提供します。これらの経験を通じて、私たちはより強く、より寛容で、より理解ある人間に成長することができるのです。


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