見出し画像

小劇場の経営してみて思うこと

映画監督の速水です。
最近はかの有名な稲森財団様の京都賞(ノーベル賞のようなもの)の動画の総監督として半年近くやってました。

このコロナ禍で、なかなか監督の仕事もなかったり、僕の経営するミニシアターも利用者激減というかほぼ閉鎖状態だったり。いや死ぬかと思いました。(まだそれは続いている)

ミニシアターを生まれて初めて経営して思うこと。
沢山ある。

僕のシアターはこちら

そもそも立ち上げた背景には、たくさんのミニシアターがどんどん潰れていく中、映画人も演劇人も「残念です」とネットで書くぐらいで、自分たちの生命線である、発信の場所がどのようにして息をしつづているのか知りもしない。。。そんなことに違和感を感じたいことかな。当たり前のようで実は当たり前のことは中々人はやったり言ったりできない。

そして、アーティストはシアターを「箱」としてあたかも愛着が有るかのように(実際有るのだろうけど)振る舞うけれど、瀕死の状態だったなんて知りもしないことも多々。

僕はアーティストが経営する(自分で責任を持って育てる)ユニオンシアターを作りたいなぁと思ったわけです。

アーティストがシアターを育てる

参加するアーティストが毎月の家賃を負担しあって経営するスタイル。

そのかわりシアターを使いたい放題。

僕は映像制作の会社をかれこれ15年近く経営していたので、収支の、バランスシート(要は黒字とか赤字の計算)は得意でしたから、アーティストが負担する金額以上に、そこで自主公演や上映会をすればまたたくまに黒字化できる(負担した会費よりも高い収入がアーティストに入る)ことがわかっていたのでそれを提案したのです。

実際に僕が演出した小さな芝居は、少額ではあれど黒字、役者にギャラも払えて、シアターも黒字、そして、ファンに対する認知としても使える。観客と繋がることができる。(自分が動けば)

なぜ、こんなにスムーズにスタートを切れたのか?

それは僕の映像制作会社がTOKYO CINEMA UNIONというインディーズ映画の制作者向けのユニオンを2012年に立ち上げやってきてきたからです。毎月の交流会に沢山の映画人や舞台人が参加していたので話が早かったのです。

ちょうど僕の映画がミラノで最優秀監督賞を受賞したこともあって皆ユニオンシアターの立ち上げを楽しみにしていたと思う。

挫折の連続

あれから月日が流れ。
ユニオンメンバーは激減。
当時、僕が理解していなかったことは、自主公演とはいえ、自分からやろうというアーティストは実は一握りもいるかいないかで、ほとんどは受け身なのだという盲点!!

アーティストの自主性を訴えて立ち上げたTOKYO CINEMA UNIONなのだから、当然そういう人たちが集まっていると当時は思っていたがそれは大きな間違いだった。

今思えば自主公演のプロデュースは全て自分が後押しして、出演者や脚本家を僕が全てチョイスしてやっていたら動いていたんだと思う。
しかし当時の僕はアーティストの受け身になりがちな弱さに気がついていなかった。多分僕自身オーストラリアでハリウッドスタイルの映画作りを学んだり、西洋には当たり前にある、自主性に慣れすぎていたのだと思う。

こういうことをあまり書いてこなかったのは、当時のアーティスト仲間を責めるような書き方になるのが嫌だったからだ。

けれど今は違う。
あるがままの事実を書けるような気持ちになった。そう!シアターをこれからどうするか?を考え抜いて少しだけ出た答えがあるからだ。

母の言葉の意味

ユニオンメンバーの脱落の連続に失望していた自分。全て身銭を切ってシアターを存続した。

そしてコロナ。普通なら閉館。

でも辞めなかった。。。

お金が底をつき家族に泣きついたこともあった。

母に言われたのは、あの場所がどんな小さな些細な場所であっても文化を繋げるための大切な意義がある。だから身銭を切ってやってるんだよね。ということだった。

その時は、まだその言葉の本当の意味は理解できなかった。

僕は10代でオーストラリア逃亡し(日本が嫌いになってぐれていた時期)
好きな映画を学び、現地の好きな会社になんとか就職し、音楽をラジオで20位になりリリースしたり、帰国後もフリーで活動して、やがて会社を作り、映画も賞を取りはじめ。。。ようは自分がやりたいことが常にあって、常に全力だった。楽しかった。そして必ず結果を出せた。

東京という街

でもユニオンシアターから仲間と思っていたアーティストが減っていくたびに徐々に東京という場所を本当の意味で理解しはじめたように思う。

東京生まれ、東京育ちの僕はそんなこと考えたこともなかった。
周囲は生きることで必死な人ばかりなのだ。。つまり東京でのしあがることに必死な人たち。

僕にはそれが無かった。

沢山のユニオンの作品に出資したり機材提供したり、したのだがもうその人たちとはなんの付き合いもない。

シアターが傾いても誰からも連絡もない。
東京なんだなって思えた。

この一年間は誰からも声をかけられることなく孤独に過ごした。。

いや、一人だけいた、先輩の映画配給会社の社長さんだ。あの方だけは、速水くん大丈夫?頑張ってるね。といってくれてしかとお金まで出してくれた。

やりたいことが分からない

たった一人の時間で考えるアイデアなど大したことはなく、一年間結局結論は出なかった。

そして昨日気がついたのだ!
何をしていいかわかないなんてこと生まれて41年間なかった。。。

それに気がついて改めて愕然とした。
それは本当に自分らしくないことだったから。

ちょうどこの時期、僕は自分の生き方そのものを見直そうと思って、コメ作りを始めた。

新宿でシアターを経営して、茨城で米作り。

そして自然の摂理という、真理にぶち当たった。

アートと自然と向き合う

川を見ていれば水の流れに小砂利が無理なく流されていく。

秋の枯葉が肥料になり土が肥える。ヨガの世界と類似するものを感じた。

そこでアート(映画や舞台)がいまなんでスカスカになりつつあるのかを感じた気がした。

人が弱ってきている。。。

僕はアートをもっと人に寄り添わせるにはどうしたら良いか?コメ作りしながら考えた。考えたというより、考えることをやめて身体で季節や自然と関わった。

そしたら一筋の光が。

少なくとも僕がシアターを閉館しなかった理由がわかった。

僕はいままで何かを挫けて諦めることはしたことがなかった。必ず失敗から次の展開を導き出してきた。そうしないといままでの失敗談は次の役には立たず酒のつまみにしかならないと知っていたからだ。居酒屋で失敗談に酔いしれるおっさんほどつまらないものはない。

だからシアターがうまくいかなくなった時、もうかないなら辞めれば?という声に耳を傾けなかった。なぜなら何かを成し遂げた経験がある人はそんなコメントは吐かないと心のどこかでわかっていたから。たぶん。。。

僕の米作りは自然農だ。
聞いたことない人も多いだろう。
そもそも農業に興味がない人がほとんどのはず。
僕だってそう。

でも人が生きること、アーティストが表現することを突き詰めた時に僕はまず、シナリオライティングテクニック(ディズニーなども採用してる)ギリシャ神話から入った。

なぜヒトは語り継ぐのか?

を研究したシナリオの基礎となるリサーチだ。

そして演技論であるマイズナーテクニックの背景なあるもの。

さらに掘り下げていくとヨガに繋がった。

そしたら自然農に繋がったわけ。

大袈裟に聞こえるけど。

閉館しないのは諦めた後にこれがただの失敗談になってしまうことをわかったたからだと思う。

でもその理由がわかると、次に自分がやりたいかは別としてやれそうなこと?に行き当たった。

アートとアグリ(農や自然)をつなげたい。
いやつなげたいかはわからないが繋げるとどうなるか?ということになった。

今後さらに大きなスペースにシアターを移転しようかと思ってる。
そこには自然農の食材などがならぶ空間があったらおもしろいと思っている。

アイデア自体大したことはないのだけど。

シアターをアーティストのためにとおもってアーティストたちに見放され、

生きる意味を失っていた自分に出来ること、

それはアグリとアートをつなげることかなぁと。


だからまだしばらくシアターを頑張ろうと思う。

広めのスペース(物件)がみつかればもはや新宿でなくて良い。

結局新宿でオープンしたけれどそれだからといって沢山利用者が出たわけでもないし。そもそものユニオンシアターのコンセプトは東京では難しいのではといまは思っている。

板橋あたりも良いかもしれない。

子ども食堂みたいなものが併設されていてもいい。

とにかくアグリアートをシアターに取り入れてみたいと思ったのでした。

シアター経営はしない

最初から決めてきたこと。
シアターを経営するということは、そこからお金を儲けなければならない。
つまり利用者である映画を監督や演劇団体に負担を多くお願いすることになる。

ユニオンシアターの仕組みは失敗したけど精神は忘れてはいない。精神というより、新しいお金やアートのインフラを考える時代になっているからだ。

箱を貸して儲けるということは、アーティストと分断が起こり続ける、過去の方法論とかわらない。

僕はアグリと部分ですこしでもアートの方に金銭的に還元できればシアターはトントンで維持できると思っている。数字上は。。。

あとは人だ。

僕は人の真理を理解せず一度失敗した。

果たして今度はうまくいくか?それは未知数。

2000人近くの映画人や映画人の卵と関わり、いま彼らは居ない。

また一人ゼロからスタートを切ってみると思えた今日、シアターの掃除をしている。

アットシアター

記事を読んでくださりありがとうございます。これからも、生活、生きること、暮らすこと、を見つめながら発信を続けていきます。一人でも多くの方の心と身体、生活が豊かで優しくあれたら幸いです。