熱狂の桜ヶ丘|スマートニュースとカルチャーデザイン
"企業のカルチャーは創業過程、成長過程で様々な成功体験を通じて構築され深められ、時を経て虚い変化する。カルチャーは注意深くデザインし続けなければ自然の摂理のように拡大とともに薄まり、時代や環境の変化に影響を受ける——"
企業という生命体のDNAがそうであるならば、生い立ちや成り立ちをごく一定期間でも克明に記録して残しておくことに、社会的意義や一定の知的資産価値を感じざるを得ない。創業時における「生身のカルチャー」を鮮明に記録して残しておくことで、今も成長し続ける古巣にエールを送りつつ、企業のカルチャーをデザインするということに様々な角度からスポットライトを当てたいと思う。企業文化とは、つまるところ一言では言い表せない無数のコンテキストの集積である。
そんな観点で回顧するのはスマートニュース社だ。2012年6月に株式会社ゴクロとして設立され、同年12月10日にSmartNewsのiPhone版を公開。今では日米で月間のアクティブユーザーは2000万以上、直近の企業価値は評価額で2100億円となる世に言う"ユニコーン企業"となっている。そんなスマートニュースが、最初のオフィス(渋谷のシェアオフィス)から初の自社オフィスとなった渋谷は桜ヶ丘に移った2013年10月。以下に記録するのはそこから激動の約1年間における、カルチャー観点からの私的記録。
熱狂の桜ヶ丘。スマートニュース創業期のカルチャーは、内部の熱狂と外部の濁流に揉まれながら磨き込まれていった。
プロダクトへの偏狭
「この人は頭がおかしいんじゃないか」と思った。もちろん、良い意味で。
SmartNewsをハンズオンで作った共同創業者の浜本階生(以後、階生さんと呼ぶ)と2013年の夏に初めて出会った時の第一印象だ。2008年7月10日「iPhone 3G」の発売とともにサービスを開始したアップルのApp Storeによって、世はスマートフォンアプリ勃興機に突入していた。あらゆるIT企業がガラケーサイトから急足でスマートフォンアプリ開発に移行、しのぎを削っていた時代、私もVOYAGE GROUP(現CALTA HOLDINGS)で子会社を作り、アプリ開発100本ノック状態で打席に立ち続けていた。誰もがヒットアプリを作るんだと躍起になっていた時代、1年以上ネットカフェやマクドナルドに籠って一人で異次元レベルのスマートフォンアプリを作り上げた天才プログラマーが階生さんだった。
当時の多くのスマートフォンアプリのクオリティからするとSmartNewsのそれは群を抜いていた。2013年度のスマートフォンアプリは基本的に2種類しかなかった、SmartNewsか、それ以外か。(あくまで個人の感想です)。詳細は割愛するものの、UIキットを用いずに、フルスクラッチでページめくりならびに違い棚のUIを実装し、形態素解析や長体圧縮を駆使して改行位置を自動でコントロール、小さいスマホの画面に最密充填する狂気に満ちた実装を、階生さんはほぼ一人でやりきった。
こんな偏狭的なこだわりをもってスマートフォンアプリを作り上げた人間は、当時世界中どこを探しても彼一人だったのではないだろうか。リリース直後は「インターネットコンテンツ」のあり方をめぐって炎上騒ぎがあったが、一方でそのプロダクトクオリティが多くのユーザーを魅了しダウンロード数やユーザー数は日増しに増え始めていた。ちなみにその後も尾を引く炎上事件や、各所からの同種の激しい外圧の数々が、のちにも触れるカルチャーを深める重要なプロセスにもなっている。
神は細部に宿る。これを地で行くこだわりの詰まった実装こそ、SmartNewsの根幹を成すものづくり思想だった。そんな偏狭とも言えるプロダクトクオリティの熱に伝播された私は、当時のテックメディアの「TECH WAVE」に下記の記事を寄稿している。気づけば同年末に導かれるように同社へ移籍していた。狂気を帯びたプロダクトが、多くのユーザーのみならず、多くの人材を惹きつけはじめていた。
エンジニアリングへの偏重
このような生い立ちで爆誕したSmartNewsは、当然の如くユーザー体験の多くをテクノロジーに依存していた。もちろん、良い意味で。
先ほどはフロントエンドの観点した触れなかったが、むしろSmartNewsの体験はバックエンドの膨大な記事を自動選定するアルゴリズムと、洗練されたユーザーインターフェースの絶妙なバランスの上に成り立っていた。当然、ただでさえ当時少数のスマートニュースの中でも非エンジニアな自分はマイノリティだった。そしてマイノリティとして感じていたのは、故の堅苦しさではもちろんなかった。ハイレベルなユーザー体験を、まるで魔法のように次々と生み出していくエンジニアリングに対する「リスペクト」だった。いや、それはそんな魔法使いたちに対する「愛」と言っていい。同じ戦線で戦う仲間であると同時に、心の中では真横でラップトップにニコニコしながらコードを打ち込むアイドルを拝むような気持ちを、同時に持ち合わせていた。
—— このような"テックドリブン"のユーザー体験を語る上で、創業期のSmartNewsには欠かせない(社内)理論があった。それが「スワン理論(Swan Theory)」だ。まるで水面を優雅に泳ぐ白鳥のごとく滑らかに美しいページめくりのユーザーインターフェースを有しながらも、実際は水面下でバタバタと泳ぎ続ける難解なアルゴリズム機構を持ち合わせている(注釈|本物の白鳥は水面下では特に足をバタつかせてはいないようなのだが…)。
どれだけ難しいアルゴリズムでの大量な情報の処理も、一切ユーザーには感じさせることはない。スワン理論とはつまり、エンジニアリングプライドであり、質の高いユーザー体験の約束だった ——
スタートアップという領域でソフトウェアエンジニアに「ハッカー(Hacker)」という呼び名を肯定的に使いながら、スタープレイヤーとしての地位を確立したのは紛れもなくGoogleでありFacebookだった。そんなスタープレイヤーはスタートアップの人材獲得競争でも最重要ポジションとなり、他の職種との「待遇格差」は引き続き広がっていると言っていい。「格差」と表現するとネガティブに聞こえるが、ソフトウェアエンジニアがマジョリティを占めるスマートニュース社においてはこれを皆が肯定的に捉えていた。むしろソフトウェアエンジニアが全組織において過半数割れしないように注意深く組織拡大は行われた。すべては
「世界中の良質な情報を必要な人に送り届ける」
という壮大なミッションを実現するために。これをスケーラブルに高速で実現するためには、圧倒的な技術革新とエンジニアリングパワーが何よりも重要であると全員が確信して邁進したのである。
ユーザーへ問い続ける
当時のSmartNewsは爆速的に拡大しつづけるユーザーたちに、とにかく叩かれまくっていた。もちろん、良い意味で。
私が初めて面と向かってSmratNewsに関してユーザーに叩かれたのは入社2日後のことだった。それも、外国人が集まる英会話カフェで。
サービスローンチから1年も経たずして、SmartNewsは英語版の実装を初めて外国人に向けたユーザーインタビュー(今で言うN=1インタビュー)も実施していた。アイディアはまず実装してみる。実装したらすぐにユーザーに当ててみる。そして、叩かれる。叩かれ、得られた学びをまたすぐに実装する。この繰り返し。これは単なる「ユーザー目線」という話ではなかった。むしろものづくりの信念であり、プロダクト開発の前提条件であり、開発フローにおけるアルゴリズムだった。
ユーザーインタビューは常に設定され続けていた。ユーザーのフィードバックが必要になってから設定するのではなく、まず先にユーザーインタビューの枠が定期的に設定され続ける仕組みを構築されていた。来週インタビューのスロットがあれば、そのスロットに直近開発しているものをテストとして投入する。この設定され続けるインタビュースロットは、当時のスマートニュース社における新入りたちのオンボーディングプログラムの一環でもあった。あらたにスマートニュースに入った人材は、最低1回はこのインタビューにオブザーバーとして参加し、一緒にユーザーに叩かれる。また、同様にメディア企業との商談にもエンジニアであっても同席するスタイルもしばらく貫かれた。
イノベーションは合議制では起きない。ユーザーに聞いても"もっと速い馬が欲しい"と言うだけだろう。そういった個人の強い意志や内面におけるインサイトがSmartNewsという稀有なプロダクトの根幹にはなっていたが、決してユーザーの声を無視することは無かった。むしろ絶妙なバランスをとり続けようと試行錯誤していたのである。
ミッションの力
先ほどミッションの話が出た。次はミッションステートメントの話をしよう。創業当初からスマートニュースには力強いミッションステートメントが存在していた。それはまさに、荒波を航海する中で行く末の希望となる北斗七星的な光を放っていた。
「世界中の良質な情報を必要な人に送り届ける」
2013年、スマートフォンが日々の生活に恐ろしいスピードで浸透しはじめていた。ガラケー時代からモバイルインターネットで隙間時間を埋めていた日本はもとより、世界中で情報の爆発と過剰摂取の時代が新たなフェーズを迎えていた。氾濫する正しい情報、誤った情報、そして正しいとも誤ったとも判断つかない大量のグレーゾーンな情報の海をユーザーである私たちは日々手探りで泳いでいた、時に大量の海水を飲み込みながら。そんな時代に、多くの人々にスマートフォンで「良質な情報」を届ける必然性が確かにあった。そんな時代の救世主であり「情報」というライフラインの守り手としての使命を皆が必死に背負っていた。誰かがやらねばならぬから、我々がやる。ミッション(使命)とはこういうものだ。お仕着せの言葉を額に飾ったり、お祭り的に掲げるのではない。それぞれが使命を強く感じ、使命と日々向き合い、自らの強い意思で使命を背負う。
そしてこの使命には良い意味で議論の余地があった。いや、それは「適切な余白」と言っていい。それは「良質な情報」とは何なのか。時にオフィスで、時に居酒屋で。ふって沸いたように「良質な情報」に対する議論がメンバーの間で沸き起こる。カルチャーとは本来曖昧なものである。数式で定義されるわけでも、各成分を定量的に表示できるものではない。なのであれば、重要なのは「我がカルチャー」に関して常に内部で話題になることだ。スマートニュースカルチャーのオセロの一角は、確実にこのミッションステートメントが成していた。そしてそれは、どこまでも議論の余地がある重要な「問い」を組織に対して投げかけ続けていたのである。
DAY1からグローバル
スマートニュースが創業期から掲げているミッションはこのようにスタートする。
「世界中の——。」
スマートニュースは初めから「対象」をひとつものとして捉えていた。「良質な情報」を「必要な人に送り届ける」ためにはいかなる「分断」という概念は許容されるべきでは無かったのである。また、手段としてのテクノロジーに目を向ければ、それは極めて合理的な考え方だった。磨き込まれたアルゴリズムは、言語によって制約される必然性がなかったのだ。ごく自然の流れで、スマートニュースはDAY1からグローバルだったと言っていい。日本発の企業として今も続くグローバルへのチャレンジは、見方によっては日本から世界へのチャレンジであり悲願であるが、見方によっては当然の前提条件であり必然だった。
社員数が10名に満たない当時から英語版へのアプローチはプロダクト的にも組織的にもスタートしていた。USメンバーの採用は進み、2014年4月には当時の全社員でニューヨークとサンフランシスコへ足を運び、各種テック企業への訪問、メディア企業への訪問、現地ユーザーへのユーザーテストやグローバル目線でのチームビルディングが行われた。1週間以上チームで物理的に現地の空気・人・テクノロジーに触れ続け、チームやプロダクトの未来について語り続けた。
もはやそこに「やるか」「やらないか」という選択肢は無かった。いかに世界に対してSmartNewsのバリューを発揮させるか、世界中の良質な情報を必要な人に送り届けるかを皆が必死で考えていた。
なめらかな組織
繰り返す、「良質な情報」を「必要な人に送り届ける」ためにはいかなる「分断」という概念は許容されるべきでは無かった。それは働らく環境、オフィスにおいても例外ではなかった。いや、むしろそんな「環境」にこそ「分断」を徹底的に排除し、結果的にSmartNewsというプロダクトへ昇華させていった。熱狂の中心となっていた「桜ヶ丘」に初の自社オフィスを構えた2013年後半、10名に満たないチームには広すぎる間取りに、仕切りはほぼ皆無だった。
例えば、当時から多くのメディア企業の方々を中心に来客は絶えなかった。当然商談の内容はすぐ近のビーズクッションやソファでコードを書いているエンジニアの耳にも自然に届く。当時メディア企業とのリレーションを孤軍奮闘で一手に引き受けていた執行役員(当時)の藤村氏は丁寧に、丁寧にSmartNewsの仕組みやスタンスをメディア企業の方々へ直接伝え、同時に多くの質問、疑問に繰り返し答え続けていた。SmartNewsというプロダクトはコンテンツホルダーの皆さまからどのようにみえるのか。スマートニュースという会社はどのようなスタンスでコンテンツに向き合うべきなのか。エンジニアも含めた皆がその背中を肌で感じ、コンテンツへの思考を深めた。
そんな、なめらかな環境によって育まれた「なめらかな組織」は、デザインされるべくデザインされていた。これを仕掛けたのは他でも無い、もう一人の共同創業者であり現代表取締役の鈴木健だ(以後、健さんと呼ぶ)。階生さんがSmartNewsの前身となるプロダクトを生み出し運営していた頃から、健さんは最良の壁打ち相手であり、戦略パートナーだった。健さんは未踏のスーパークリエーターであり、研究者であり、伝播投資貨幣プロジェクトPICSYの主催者であり…もう色々な側面がありすぎて私のつたない文章では形容のしようがない。当時の私の印象論だけで言えば、会ったことないけどおそらくスティーブ・ジョブズは健さんみたいな人だったのだと思う。時に私を貫通する好奇心120%の目力は、常に世界のその先へと視線が続いていた。
話を「環境」に戻そう。企業組織には「風土」と呼ばれる「育成土壌」が存在する。水分や栄養が植物の根っこに最適に接することができる土壌が大切なように、企業風土においても「あるべき環境論」が存在する。健さんがデザインした「なめらかな環境」は、フィルターバブルによる情報や社会の分断を取り戻すためのプロダクトを生み出すための、「なめらかな組織」を育む土壌を確かに提供していたのである。
最近「コンウェイの法則」が見直されている。これは簡単に言えば
ということだ。周到になめらかに設計された環境・組織は、健さんの見据えた社会の分断を取り戻すSmartNewsというプロダクトのバリュープロポジションへと続いていた。
幸い、この桜ヶ丘オフィスから神宮前オフィスに移転する際の詳細が健さん手でこちらの公式ブログに残されている。こちらで語られている「環境デザイン」は既に創業間もない桜ヶ丘時代から貫かれている。
苦境で見つけた"大義へのスタンス"
SmartNewsは2012年12月10日にこの世に生まれた。つまりまもなく丸10年を迎える。本来であれば「プロダクトの誕生日」は手放しで祝われるべき記念日であるが、当時のスマートニュースを取り巻く環境は、それを許さなかった。
私が入社を目前とした2013年12月10日、つまりSmartNewsの1歳の誕生日に今も残るこちらの記事でSmartNewsは再び(大)炎上した。私は丁度ハワイへ新婚旅行中、階生さんから炎上を謝罪する連絡をわざわざもらったことが昨日の事のように思い出される。本件に限らず、SmartNewsの競争環境は極めてハイプレッシャーかつ、レッドオーシャンへ突き進んでいた。多くのプレイヤーが「ニュースアプリ」という頂の座を仕留めんとテレビCMをはじめとした一大空中戦が開戦しはじめ、同時に泥沼の様相を呈する白兵戦のオンパレードだったと言っていい。
(念の為、過去の炎上を肯定したいわけではない。本エントリーでは、ただ組織内面のカルチャー醸成の実情を炙り出すことをに注力したいのであり、あらためてその点をご理解頂きたい。)
ただ、皮肉にもそんな競争環境によってSmartNewsのいわゆる「コアバリュー」は磨き込まれていった。
例えば、某競合の会社がSmartNewsのアプリがアップデートされるたびに負の組織票とも言うべき「悪レビュー」を仕掛けてきた。一方で、某アプリがアップデートされるたびに同じレビュワーから「好レビュー」毎回ずらりと並んだ。当時のAppStoreの仕様ではアップデートの際の最新レビューが目立つ仕様になっていたのだ。これが本当に意図的かつ組織的な行動だったかの真意はおいておいて、少なからずスマートニュース社内では次のようなカルチャーのコンセンサスが生まれていた。
「どんなことがあろうと、私たちは競争相手の足を引っ張るようなことはしない」
それはこのニュースアプリ競争における内向けの"スポーツマンシップ宣誓"だった。先に触れたSmartNewsの炎上騒ぎも、元々は生い立ちにおける「コンテンツ泥棒」騒動に端を発するので、それを棚に上げて「正義のヒーロー」面するつもりは毛頭無かった。しかし、そんな生誕経験があったが故に、特にユーザーやコンテンツホルダーに対する「誠実さ」こそ守らなければいけない内面の防波堤だった。そして、そんな"雨降って地固まる"的に磨き込まれた「信念」こそ、その後も延々と続く四方八方からの荒波を乗り越えていくための最良のエネルギー源となっていたのは、今振り返っても間違いない感情の記憶となっている。
カルチャーというものは空気みたいなものだ。捉え所がなく、当然形もなければ無味無臭、定量的に測れるものでもない。そんな空気のような輪郭は、外圧による窒息状態で初めて「強烈に存在を感じる」ものなのかもしれない。他人と比較した時に、初めて自己を認知するように、熾烈な競争環境は己のカルチャーを認知し、磨き込む上で最良の培養環境だった。
最後に|カルチャーデザインにおける創業の魂の意味
日本が世界に誇る産業と言えばひとつに自動車産業があげられる。そんな中でも実績はもちろん、独自の企業文化をアウトサイダーである我々にも認識させてくれるのはトヨタ自動車だ。カイゼン(Kaizen)・トヨタ生産方式(TPS)は未だに独自のカルチャーとして異彩を放っている。
そんなトヨタも、カルチャーの劣化に危機感を募らせていると言われる。歴代続いた代表取締役の舵取りを今務めるのは、グループ創業者の豊田佐吉から数えて11代目、佐吉のひ孫にあたる豊田章男だ。彼はTPS研修で研修室の後方に設置してある自動織機(織機はトヨタの創業事業)を用いて「カイゼン」の原点に触れさせるという。
スマートニュースで言えば、目的は「世界中の良質な情報を必要な人に送り届けたい」ということ。
私はスマートニュースの創業者ではない。今回記録した創業期のスマートニュースのカルチャーはあくまで私視点から見たものであり、それはいち個人のフィルターがかかり、バイアスがかかって美化されている部分もあるかもしれない。ただ、それもカルチャーというものが成す真実の側面だと、強く思う。少なからず、当時のカルチャーが生み出したエネルギーを、今も確かに感じている。
企業文化はコーポレートサイトに大きく掲げられたミッション・ビジョンだけではない。企業文化は切れ味の良いコアバリューの羅列だけでもない。それらは確かに企業文化の重要な一翼であり、それらを拠り所に航海する船のカルチャーの一端ではあるが、企業文化の「全て」ではなく、あくまで氷山の一角である。企業文化とは、一言では言い表せない「無数のコンテキスト」だ。人と時間の数だけそのコンテキストは無限に広がり、大空を飛び交うムクドリの集団のように無数が全体を成し、全体は時に全体を維持したまま姿を変える。スマートニュースという会社の今の企業文化は、既にインサイダーではない私には分からない。ただ、ここで長々と言語化させてもらった「企業文化のコンテキスト」は、当時確かにそこに存在していた。そして、今回長々と私的回顧を綴らせてもらったのは、「カルチャーをデザインする」とは、デザインの対象がこういうものであることを示したかったのだ。
冒頭の書き出しを反芻したい。
" 企業のカルチャーは創業過程、成長過程で様々な成功体験を通じて構築され深められ、時を経て虚い変化する。カルチャーは注意深くデザインし続けなければ自然の摂理のように拡大とともに薄まり、時代や環境の変化に影響を受ける—— "
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