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【 出雲記 】#0 神話を生きる

『それぞれの神話を、人は生きる。
 そして、語る。』
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遠く、近く、
それを耳にすべき誰かのために。
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他ならぬ、自分のために。
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そのために、
わたしたちは生まれるのだ。
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冒頭の言葉は、
昨日の朝、浮かんできた言葉です。
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でも、人によっては、
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「わたしのことなど、誰にも伝えたくはないのだ」
ㅤ「簡単にわかって、わかられて、たまるか」

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そう思う人も、いるでしょう。
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「生まれてきた意味」

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それはきっと、
それぞれ、人によって、
多岐にわたる理由があると思います。
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でも、それを集約するのであれば、
その大きな理由のひとつは、
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「自分がどんな存在であり、
 何をなす者であるのか」
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「そして、どんな世界にいて、
 何を見て、何を体験しているのか」
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これらを体験し、語ること。
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それが、
「わたしたち それぞれの神話」。
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わたしたち一人ひとりが、
元々、大元をひとつとする
大いなる源、「宇宙」なのだとしたら。
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例え、それが「究極、完全」なのだとしても。
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それが、どんな色、形、香りなどの
感触を含むのか。
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どれだけ美しいのか。
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それを知ることは、出来ません。
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ひとつである故に、
自分以外の、「観測者」がいないからです。
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宇宙である自分が、
どれだけ美しく、無限の可能性があるのか。
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それを知りたくて、カタチにしたくて、
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「体現者」、「観察者」として、
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宇宙というひとつの大海から
わたしたちという
ひとつひとつの波形が隆起して
生まれたのでしょう。
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だとしたら。
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きっと、わざわざひとつの波として
生まれたわたしたちは、
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それぞれに存在を、
言語、非言語の言葉にして伝え合い、
影響しあいたいと思うのが、
自然なことだと思うのです。ㅤ ㅤ
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今、わたしが、あなたが、
生まれて、ここにいることの意味。
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それは、やはり、
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「わたしを、生きたい。
 わたしを、知りたい。
 わたしを、知ってもらいたい。
 わたしを、活かし、生かしてもらいたい」
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そういう、欲求があるからだと思うのです。
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これは、暴論かもしれないけれど、

どんなに、人にわかられたくなんかない、
人に自分のことなんてわかるはずなんかない、
そう思う人であれ、
どんな人であれ、
そこに、例外はないと思っています。

「わかるはずなんかない」という言葉の裏に、
「わかって欲しい」という欲求が、
隠されていると、わたしは思うからです。


わたしは、
一人ひとりの人生の物語に、
その人のもつ質、力に、
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「知りたい」と、強く心惹かれます。
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そこには、
とてつもないこの世界の宝が眠っているから。
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だから、
わたし体験しているわたしの神話も、
記録として、残していこうと思ったのでした。
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ただの旅行記なのに、何やら壮大ですね。(笑
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でも、旅の前、途中、その後。
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まだ、出雲への旅で得たことの検証は
続いています。
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「前置きの前置き」くらいの感じで、
今日はおしまい。
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「誰得?否、俺得」の、出雲旅行記。
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マイペースに、綴っていきます。
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#出雲記

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