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菌の視点からみる母乳とミルク、そして離乳食の荒波

私たちは、私たちの食べたものでできている。

大人になると、この実感はやや薄くなってくる。

けれど、毎日ぐんぐんからだが大きくなっていく赤ちゃんを見ていると、彼らの食べるものがほんとうに彼らの体を作っているのだという感覚を抱く。

それでは、彼らの食べるものはマイクロバイオームたちのからだも作るのだろうか?
答えはほぼ間違いなくYESだ。

今日は、母乳や粉ミルク、そして離乳食がどんな菌たちを育むのか、わかっていることを紹介してみたい。

※本記事は「腸内細菌は何歳までに決まる? 赤ちゃんから子どもへの成長とともに歩む菌たちのこと」シリーズの一部です。
別のシリーズ「全プレママ&パパに届けたい、妊娠・出産とマイクロバイオーム全まとめ(腸内細菌、膣細菌を中心に)」と併せて読むことを推奨します。


・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
・用語解説はこちら(随時更新)
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母乳に含まれる消化不可能の糖の謎

出産によってお母さんからマイクロバイオーム一式を無事に受け取ったあと、赤ちゃんの腸でもマイクロバイオーム生態系の形成がはじまる。

出産後数日すると、複数の種類のビフィズス菌が赤ちゃんの腸で増え始める。この細菌は赤ちゃんの腸で70%〜90%まで増えることもあり(1)、乳酸菌と並んで離乳食が始まるまでの二大構成員となる。

どうしてこの細菌が急に増えてくるのか?
その理由は、母乳の成分を見ればわかる。

母乳には、乳糖、そして脂質に続いて三番目に多い成分であるオリゴ糖(Human milk oligosaccharides ,HMOs)が含まれる。
このオリゴ糖は、生まれた赤ちゃんを含むヒトには消化できない。これを消化して栄養に変えてくれるのがビフィズス菌たちだ。

母親はなぜ、赤ちゃんが直接消化できない成分をわざわざ母乳に含ませるのだろう?
生まれたばかりの赤ちゃんは、せいぜい一回の授乳で数十グラムの母乳しか飲めないというのに。

謎の答え1

第一の理由は、オリゴ糖が病原菌の「専門クレーム処理窓口」になってくれることだ。

未熟で不安定な赤ちゃんの腸マイクロバイオームは、ちょっとしたことで大きく乱れやすい。それでも、外界は容赦なく次々と病原体を赤ちゃんに送り込もうとする。

そこでオリゴ糖が頼りになる。

赤ちゃんを清潔に保つことに神経質になることは母親として自然な感情だが、心配することはない。
母乳に含まれる130種類ものオリゴ糖のうち数十種類は、特定の病原体にぴったりフィットして、病原体が腸壁に付着して増殖するのを防いでくれる(2-P315)。

あらゆるタイプのクレーマーが社長室に殴り込まないよう、クレーマーのタイプごとに専門のクレーム処理スタッフがいるかのようだ。

謎の答え(?)2

次の仮説。
これが答えかどうかは、解釈による。

母親は(母乳は)わざわざビフィズス菌を増やしたいのだと考えてみるとどうだろう。この仮説を支持する研究結果は、実は山ほどある(3)。

ビフィズス菌は、短鎖脂肪酸(乳酸、酢酸など)と呼ばれる有益な物質を出してまだ未熟な赤ちゃんの免疫系を育てるのに役立っている。さらには、腸内のpHを下げて他の菌たちを増えにくくしたり、腸壁のバリアを強くすることで、日々赤ちゃんの体に入り込もうとする病原菌から赤ちゃんを守る。

生後6ヶ月くらいまでは風邪をひきにくいという話を聞いたことはないだろうか?
この理由は、胎内にいるときや母乳を通して母親から抗体(病原菌などをやっつける免疫細胞)をもらうからだと説明されているが、出産時に受け取るビフィズス菌もひと役買っていることは間違いなさそうだ。

まだまだある、謎の答え

そのほかにも、ビタミンB2や葉酸の生成、ワクチンの効きを良くする働きなども知られている。

さらに、母乳そのものにもビフィズス菌をはじめとする母親由来の腸内細菌たちが含まれているとする研究(2-P316,4)も報告されている。

母乳は、ほかにも200種類以上のヒトが消化できない栄養を含んでいる。これらは無駄に存在するわけではなく、赤ちゃんの体内に住む無数のマイクロバイオームたちを育んでいるのかもしれない。

そしてそれらの存在意義は、決して謎ではなくて、綿密に計算された「当たりまえ」なのかもしれない。

生命というものはなんと賢くてかっこいいのか。こういう仕組みを知るたびに、感動して震える。

粉ミルクと母乳神話とマイクロバイオーム

「母乳神話」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

母乳のメリットを強調するあまり、一部の母親にとっては精神的に負担になっている言葉でもある。

たしかに、母乳育児は先祖代々受け継がれてきただけあっていくつもメリットがある。母乳に含まれる成分は赤ちゃんの健康維持に大いに貢献するし、授乳による母子の絆形成なども挙げられている。

赤ちゃんの健康上の理由以外から母乳育児を選ぶ人もいる。経済的であること、ミルクを作ったり哺乳瓶を洗う手間がいらないこと。
授乳をしないと胸が張って乳腺炎になる人もいる。

しかし、母乳が出にくいお母さんもいれば、仕事の都合や本人の体力などの理由で粉ミルク育児、母乳/ミルク混合育児を選ぶ家庭もある。

いずれの場合でも、周りの意見に左右されすぎず、両親がいいと思える方法を選ぶのがいいのだろう。お母さんが元気で笑顔なのが子どもにとって一番大事だ、という考え方もあるし、実際にそれが一番の正論に思える。

粉ミルクと腸内細菌

ここでは、母乳神話を支持することになってしまうかもしれないが、マイクロバイオームの観点から粉ミルクの影響を考えてみたい。

強調しておきたいのは、あくまでも粉ミルク育児を否定するものではないということだ。そうでなくとも産後のお母さんは肉体的に本当に大変だし、粉ミルク育児にもメリットはたくさんあるのだから。

母乳だけを飲んでいる赤ちゃんの腸内は、乳酸菌(L. johnsonii/L.gasseri, L. paracasei/L. caseiなど)やビフィズス菌(B. longum)が多勢を占めている。これらの菌たちは、プロバイオティクスとしてサプリメントに含まれていることも多い。

一方で、粉ミルクを飲む赤ちゃんは別な細菌たちの割合が増える。Clostridium difficile、Granulicatella adiacens、Citrobacter spp.、Enterobacter cloacae、Bilophila wadsworthia、Bacteroides fragilis、 E. coliなどがその一例だが、これらの菌には「日和見病原体」と呼ばれる菌たちも含まれている。
日和見病原体は普段は悪さをしないけれど、なんらかの原因で赤ちゃんの免疫力が落ちたときなどに病原性を発揮することがある。

先週の記事で紹介したB. longumとB. adolescentisに注目すると、母乳を飲む赤ちゃんには前者が多く、粉ミルクを飲む赤ちゃんには後者が多い。
どちらも似たような機能を果たすけれど、長い進化の歴史を経て、ヒトはB. longumとより仲がいいのかもしれない。

粉ミルクは牛の乳から作られているが、母乳に含まれるオリゴ糖と粉ミルクに含まれるオリゴ糖の構造は、最大でも25%ほどしか重複しない
各メーカーが企業努力を続けてはいるが、母乳のオリゴ糖構造を粉ミルクで再現するには至っていない。
その他にも母親由来の抗体など、母乳でしか提供できない成分はやはり存在する。

超低出生体重児など、特に母乳のメリットを受けるべき赤ちゃんを対象とした母乳バンクも存在している。
粉ミルクよりも母乳を、と願う母親たちが自分で母乳を与えられない事情を抱えながらも利用を検討できる無料の制度だ。低温殺菌などの工程で母乳の成分が一部失われているとはいえ、母乳バンクの存在が支えになった母子も多くいるだろう。
一般財団法人日本財団母乳バンク(東京)、一般社団法人日本母乳バンク協会(東京)、藤田医科大学(愛知)が2023年に開設した母乳バンクの3箇所があるが、いずれもNICUでの治療など特別な理由がないと利用はできない。

粉ミルクを選ぶ場合、たしかに初期のマイクロバイオーム形成に影響をあたえる。
それでも、菌たちは様々な機能を重複して、そして連携して担うことができることを思い出してほしい。
たとえマイクロバイオームの生態系が違っても、同じ機能を果たせればそれでいいのだ。あるいは少々もろい生態系になるかもしれないけれど、共生マイクロバイオームが完成するにはまだ時間がある。

最新の研究では、母乳に似せた成分を加えた粉ミルクでは、腸内細菌の組成やその機能(短鎖脂肪酸の産生能など)が母乳に遜色ないという報告も出ているので、粉ミルクメーカーの努力にも頭が下がる。(5)
ただ、この報告はあくまで試験管内での実験段階であることに注意したい。

粉ミルクは太る説

もうひとつだけ。
「粉ミルクは太る」というのは、母親たちのあいだで通説になっている。たしかに、ミルクで育っている赤ちゃんは育ちがいい。けれど、その差は年齢を重ねるごとに縮まり、将来の肥満の原因にはならないだろうという見方が強い。

ヒトが健康に育つかどうかには、無数の因子が存在する。完璧な育児は存在しない。
そのときそのときにできることをしていくために、ここで書いたことが少しでも参考になれば幸いだ。

離乳食のはじまりと多様性爆発

もちろん、出産時に受け取るのは乳酸菌とビフィズス菌だけではない。離乳食が始まると、この他の菌たちが急に増えてくる。

離乳食の中に、それを消化するための大量の菌が含まれるのだろうか?
そうは考えにくい。

ひと昔前までは進化の痕跡として無駄な臓器だとされていた組織がある。
虫垂(一般にモウチョウといわれる場所)だ。

実は虫垂は、腸の主な流れから少し外れたところにあるせいか、さまざまな細菌たちが流されずに密集して暮らしており、菌たちの隠れ家と呼ばれることもある。
そしてこの虫垂が、腸のマイクロバイオーム生態系の形成において非常に重要な司令塔のような役割も果たしているのではないかということが予測されている。

出産のとき、その後の生活で受け取った菌たちは、一時的に虫垂に隠れていることができ、そのときが来たら虫垂から大腸というより大きな世界のそれぞれの目的地に出ていけるのではないだろうか。
そうだとすれば、母親譲りの菌たちは離乳後も赤ちゃんのからだづくりを支えてくれるパートナーだということになるだろう。

一方で、スウェーデンのコホート研究では、赤ちゃんの腸内細菌の構成を大きく変えるのは、離乳食のはじまりというよりは母乳量の減少(または完全な離乳)によるものだとの見方を示している。

いずれにせよ、へその緒から栄養をもらっていた赤ちゃんが母乳栄養に変わるタイミング、そこからさらに様々な栄養源を消化吸収できるようになるタイミングで、腸内細菌たちがその顔ぶれや働きを柔軟に変えているのだ。

私たちの遺伝子が時と場合に応じてその発現度合いを変えるように、マイクロバイオームの生態系も健やかな変化をもって応じてくれている。
尊い。

1. Mueller NT, Bakacs E, Combellick J, Grigoryan Z, Dominguez-Bello MG. The infant microbiome development: mom matters. Trends Mol Med. 2015;21(2):109-117. doi:10.1016/j.molmed.2014.12.002
2. Collen A, アランナコリン. あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた. 河出書房新社; 2020.
3. Hegar B, Wibowo Y, Basrowi RW, et al. The Role of Two Human Milk Oligosaccharides, 2′-Fucosyllactose and Lacto-N-Neotetraose, in Infant Nutrition. Pediatr Gastroenterol Hepatol Nutr. 2019;22(4):330-340. doi:10.5223/pghn.2019.22.4.330
4. Martín R, Jiménez E, Heilig H, et al. Isolation of Bifidobacteria from Breast Milk and Assessment of the Bifidobacterial Population by PCR-Denaturing Gradient Gel Electrophoresis and Quantitative Real-Time PCR. Appl Environ Microbiol. 2009;75(4):965-969. doi:10.1128/AEM.02063-08
5. Borewicz K, Brück WM. Supplemented Infant Formula and Human Breast Milk Show Similar Patterns in Modulating Infant Microbiota Composition and Function In Vitro. Int J Mol Sci. 2024;25(3):1806. doi:10.3390/ijms25031806


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