いつになっても慣れない「別れ」について
こんにちはSyllyyです。
もう4月も末になってしまいましたが、本日は「出会いと別れ」について書いていこうと思います。
3月から4月は一般的に「出会いと別れの季節」と言われる時期です。
学生であれば、卒業と入学。社会人でも入社や転職でも3月を区切りにする人は多いです。
出会いに関してはワクワクするので、好きな感情の一つなのですが題名にもあるように「別れ」に関してはいつまで経っても慣れないなというのが感想です。
それを一番感じたのが学生時代のアルバイトの時。
ぼくは学生時代さまざまなアルバイトを経験したのですが、その中のひとつに塾講師のアルバイトを6年間していました。
6年間やっていたこともあって、多くの生徒を見送ってきました。
そのなかで感じたことは、「どの生徒を見送るのも悲しさが変わらない」という点です。
簡単にいうと慣れないんです。
大学3年生くらいの頃は「あーまたこの時期か。なかなか慣れないなー」と思っていました。
でも、ふとした時に思ったんです。
「え、別に別れに慣れなくても良くない?」と。
結局は、悲しいものは悲しいと自分の感情に素直になったんです。
それは自分の卒業の時も、お世話になった職場の先輩が転職して退職してしまった時も結局変わらない。
「もしかしたらこの人とは一生関わらないかもしれない。」
今までの人生を振り返っても当時はそこそこ関わっていたのに、卒業と同時に疎遠になりこのままだと一生会わないんだろうな、というひとは意外と多い。
ではぼくが見送った生徒も、学生時代関わったひとも全くぼくの人生に意味がなかったかと言えば絶対にそうではない。
やはり、そのようなことを考えてしまうからこそ「悲しい」という感情が生まれてくるのだと思う。
話を戻して、別れに慣れないというものについてなれる必要がない。というのは
「別れに慣れて感情がなくなった自分」を想像した時に恐怖すら覚えたからである。
ぼくの中で別れに慣れた人間は、感情を殺しているのではないかと想像してしまった。
立場上「あえて」そのように立ち振る舞う人もいるかと思うが、ぼくはそのように立ち振る舞いたいとは思わない。
ひとこと断らせていただくと、そのように立ち振る舞う人を否定しているつもりはない。あくまでスタンスの違いと捉えて欲しい。
ぼくが、このような考えに行き着いたのは「自分に素直にいきたい」という欲求からだと思う。
元来プライドが高めなぼくは悲しみの感情を表に出すことを嫌がっていたのかもしれない。
しかし、結局は自分に素直にという矛盾すら感じる答えかもしれないがこれがぼくの答えである。
この記事を読んでくださった皆さんがどのように感じるかはそれぞれだと思う。
ただ、この時期になると毎年思い出してしまう話題なのでここに書かせていただきました。
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