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バイオテクノロジの距離感

大変お久しぶりでございます。
年の瀬。ふと、本年幾度となくアタマに去来したことを書き留めたくなりログインしました。離れていた間にも、古い記事をお読みいただいたり、フォトギャラリーの画像をお使いいただいたり、意外やかかわりがあったようでおもしろい。誠にありがとうございます。

テクノロジの民主化

テクノロジは民主化する。
テクノロジが何かを民主化するとも言えるし、テクノロジ自体が民主化するとも言える。今日は後者の話。

一部の特権的な人にしか触れなかった技術が、民衆にも触れるようになる。PCが普及して情報技術が、fab施設や安価な機材によって工作技術が、民衆に(ある程度)解放された。多額の資金がなくとも、長年の勉学による知識がなくとも、アクセス可能になった。

多くの“普通”の人がソフトウェアやガジェットを作る。専門的な経験を積んだ方も多いが、これまで縁遠かった人が思い立って飛び込んで楽しめる環境がある。

夏のアートイベント

その中で、バイオテクノロジの世界はまだ遠い。
2021年夏のあるアートイベント、情報技術系の作品には未成年の作や情報技術屋以外の方の作も並ぶ一方、バイオアートの一角はアカデミアからの出展だった。観覧者の一人が「バイオは別世界」と言った。

以前友人が「バイオ系が専門だった(から個人的に身近だ)が大学や会社を離れてバイオができる気がしない」と言ったことを思い出した。生物工学は大学や専門の企業のものだ。

生物工学は身近になるか。PC一つで色々といじれる情報系とは勝手が違うから、アクセスが難しいか。それでも電気系機械系くらいには身近にはなるか。ぼんやり想像した。

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秋の本

2021年秋、ケヴィン・ケリー「5000日後の世界」を読んだ。テクノロジの潮流、テクノロジによる変化を想像することに関する本である。

本書には“生物学的な運命を制御できる時代がくる”、“誰でもバイオを手がけられるようになる”とあった。

ここでまた、バイオテクノロジの民主化を想像した。

バイオテクノロジの距離感

どうだろうね。
生物工学は若いからこれからかもしれない。しかし古参の化学もあまり身近になっていないように思うから、同様の壁があるのかもしれない。安全面だろうか。爆発や汚染等のトラブルの恐れもあるし(機電系でもある程度あるが)、薬物関係の怖さもある。

一方で、管理者のもと化学系・バイオ系の作業ができるfab施設が一般化する可能性もある。化学やバイオが電脳世界でバーチャルに身近になる可能性もある。

何度かぽろぽろ考えた。結論はないのだが、覚え書きまで。


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