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「捨てられない病」

 私は昔から物に愛着してしまう傾向がある。その物が、他者からみて無意味な物であったとしても、私には捨てることが難しい。物を買う理由はあったものの、捨てる意味は見つからない。

 「断捨離」が流行りはじめて数年が経とうとしているが、近所の本屋へ行くたびに断捨離関連の書籍が店頭に山積みされている。きっと日本人の大半は私と同じく、「捨てられないびょう」を患っている人間がいるのではないか。自分が異端ではなく、ごく普通の人間だとして社会に受け入れられている安心感さえ抱ける。

 主人は私と全く真逆の性格であり、物に依存をしない人間である。例え一度も使用しなかったダイエット器具、一度も読まなかった本、一度も袖に手を通したことがない服さえも、彼の手にかかれば躊躇なくゴミ袋に放り込まれる。物で溢れるゴミ袋が段々とお金の山みたいに見えてきて、「このお金で高級焼肉店、何回行けただろうか」と、少ししんみりとする私がいる。
主人が自分の物を捨てるのは一向に構わない。いや、できれば(特に高価な物は)購入前にぜひとも10回ほどは、購入後のシミュレーションを行なってほしいところである。そんなことを思っていると、何も捨てない私に対して主人がぼそりと言う。

「君も捨ててみるといいよ、家もスッキリするし、落ち着くと思う」

 途端に私の中にある「捨てられない病」の発作が起こる。今手元に残しているのは、言ってみれば次世代を担うアイドルオーディンション戦並みの選抜で勝ち抜かれた物たちだ。今のこの環境こそがベストな状況であるのにも関わらず、彼は捨てろなど軽い口調で言ってくる。甚だしいにも程がある。怒りのボルテージが順調に上がるのを感じられずにはいられない。

 ただそうはいっても私たちは夫婦であり、同じ空間で生活するためにはお互いがお互いを程よく干渉し、時には支え、時には受け入れることも必要なのだと、ここ数年で得られた大きな教訓である。
だがしかし、私が血と汗と涙の結晶で稼いだ大切なお駄賃を、主人の一言で「はい、そうですね」と捨てることはそう簡単にいかない。これからも私は順調にものを増やしていきながら、主人との折り合いを見極めつつ、この生活を数十年間続けていく所存である。
そこで私を含む全ての「捨てられない病」を患う人たちは、ぜひとも程よく断捨離をしつつ、適度な選抜オーディションを行なっていければと思う。


(2023.7)
大学の課題で書いたエッセイになります。
世の捨てられない病で困っている人々に向けて。

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