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祖父の椅子、祖母の椅子

 南米の実家には祖母が大切にしていた、年季が入った椅子がある。元々は祖父がまだ生きていた頃に、彼が愛用していた椅子だった。

 父親の仕事の関係で、南米に移住が決まったのは私がまだ十歳の時だった。母親の故郷でもある南米には母親の親族もいて、会えるのがとても楽しみだった。初めて行った祖母の家は至るところに物が溢れかえっていて、幼い私はとても驚いた記憶がある。特に祖母の部屋にあったクローゼットとタンスにはこれでもかというくらい衣類で溢れかえっていた。母親の服好きは祖母譲りであるのだと、血筋は争えないことがよく分かる。それでも入りきれなかった衣類は、クローゼットの隣に置かれていた椅子の上に綺麗に畳まれていた。これが祖父の椅子だと知ったのは、だいぶ後のことだった。

 祖父は鉱業の現場で長年働いていたらしく、珪肺病を患い数年後に退職した。その後農業に転職し安定した日々を過ごしていたものの、ある日突然食事中に息を引き取った。その時に座っていたのが、この椅子である。母がまだ十四歳の時だった。
 この話だけ聞くと、「いわくつき」の椅子でできる限り近づきたくない気持ちが否が応でも溢れそうになる。しかしその椅子は避けられるわけでもなく、ごく普通に祖母の生活の一部として馴染んでいた。祖父が亡くなった後も、ただただそこで祖母の衣類置き場になっており、静かながら祖母を見守るかのように、存在していた。

 長生きしてくれた祖母は去年の十月に、家族に見守れながら静かに息を引き取った。祖父が眠っている場所にそのまま入る形となり、約六十年の時を経て、彼らは天国でまた夫婦として過ごすことが許された。
 祖母がいなくなった実家には、彼女が最後まで大切にしていた、祖父の椅子がある。私が最後に見た時は、ところどころ傷んでいた。とても人が座れないほど脆くなっており、子ども一人が乗っただけで軋む音と共に四本のうちのどれかの足が折れそうな気配がしていた。クッションもバネも人の体重を支える役目は果たしていなかった。

 二年前に修理に出されたらしく、垢まみれで黒ずんでいたアームレストは元々の木の輝きと、肌にしっくりとくる触り心地を取り戻していた。クッションもバネも一新され、私が座っても特にうめき声もあげることなく、受け止めてくれるあたり、だいぶいい家具屋の手に任されたのだろう。座ると少し足が窮屈で伸ばさないとしっくりこない。昔の人の体型に沿って作られたのかもしれない。

 改めて祖父の椅子に座ると、彼がどのような体型であったのかを、想像することがようやくできた。おそらくそこまでふくよかな体つきではなく、身長も私と同じくらいか、もっと低かったかもしれない。会ったことのない祖父の姿を想うのはごく自然なことで、椅子を通して彼を見ているような感覚になった。
 写真で見る祖父の顔は、元軍人でもあったためか少し険しい顔をしている。それでも祖母とのツーショットでは少しだけ口元が緩んでいるあたり、きっと穏やかな性格の人だったのかもしれない。

 二人が旅立って、彼らの椅子だけが残ってしまった。祖母や母は椅子を通して祖父の存在を感じていた。そして今の私にとってこの椅子は、祖父よりも祖母の存在を感じさせてくれる大切なものになった。

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