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創作して、酔いしれて。

「残りの人生、もし1つの褒め言葉しか言われないとしたら、なんて言われたい?」
ある時、私は姉とそんな他愛もない会話をしたことがあった。
姉は「面白いと言われたい」なんて言って、家族の失笑を買っていたが、私はというと・・・「独創的だね」いつだってこの一言こそ、人生最高の褒め言葉だと感じている。

昨晩、私は友人の初ライブを目の当たりにした。
大学1年の頃から自宅の地下で曲作りをしていた彼は、この夏、遂に本格的なステージにその姿を現した。と、言ってもステージの持ち時間は約25分。アマチュアのライブに変わりはないのだが、あれほど輝かしく、ここまで他人の姿が煌びやかに見えた瞬間はないかもしれないと、まさに彼の独創性を全身に浴びる夜を過ごしたのである。

たとえば…ショー、パフォーマンス、ステージ、舞台・・・言葉は違えど、どれもこれも人を惹きつけては離さない、不思議な魔力を持っている存在だ。これらが、そんな風に魅力的な存在たらしめる所以こそ、上述の「独創」にあるのではないかと思う。

独創。
それは、独自の新しい考え・思いつきで、ものごとを創り出すこと。


「独創的」や「独創性に富む」と言われると、よく「変人」とか「奇抜」などという表現とも結びつくことがあるが、私はこれらが似て非なるものだと思っている。何かを発信する際に、模倣によるものではないという点では酷似していると言えるが、「独創的」には、それによって与えられる影響がもっと普遍的なものであるように感じられるのだ。「奇抜的」なものには、誰も理解できない領域があるが、「独創的」なものには、万人を受け入れるかのような寛容性を孕んでいる、そんな印象がある。

人は誰かの独創性に刺激されて、自分も!と、独創の連鎖が起こっているのではないだろうか。それを幼少の頃には自己の形成と呼び、成人になると人生設計などと、その表現方法を変えては、皆自分だけの「独創的」な何かを追い求めている気がしている。

しかし、我々は時に、その独創性の全てを放棄したくなる。
自分なんか・・・と塞ぎ込み、他人の独創性を羨ましがることすらせず、真の消費者へと変貌する。悲しいかな、これを「大人」と呼ぶ者もいれば、「立派になった」とまで言う者がいる。その評価は果たして本物だろうか。


昨晩行われた友人のライブパフォーマンスは、紛れもなく独創性に富んでいた。それは全5曲が彼のオリジナル曲であったからでも、まだ大学生である彼の自由奔放さからでもなく、星の数ほど音楽創作者がいる中で、今の彼にしかできない舞台を創り、私たちに届けてくれたからだと思っている。

なんでもいいから創りたい!
何かこの考えを人に伝えたい!
以前、彼と話していた時に会話の中で飛び出したセリフである。
「創る」ことで人は世界を知る。「独自」の考えで人は初めて他人を認識できる。「独創性」は、なにも変わったパフォーマンスを指すわけではない。「私はこう思う」「私はこうしたい」「あなたのことを知りたい」「あなたを喜ばせたい」これらは全て、あなたにしかできない「独創性」から来ているものではないだろうか。「独創的」であることは、同時に「人に優しくある」ことだと、これは持論に過ぎないが、私は強くそう思うのである。





さて、そうして「独創性」の素晴らしさを信じ、そんな自由な発想を受け入れる場として、私は「Blue Balloon」というコミュニティを創ろうとしている。

え?急な宣伝ですか?
ーはい。すみません。

つまり、なにをするつもりで?
ーこれからのお楽しみです。私もまだ未知数です。

昨晩のライブを成功させた彼。
そしてそんな彼を支えた影の立役者もひとり。
私は彼らの熱量を単なる「趣味」で終わりにさせたくはない。

みんな何かを創りたい。誰しも日常を離れる場が欲しい、かもしれない。
もし自分がそんな場所を創ってあげられるなら。"Blue Balloon"がそんな場所になれるのなら……。私の「独創性」も徐々に膨らみ始めてきているのかもしれない。

スッ...(ヨカッタラ、クリックシテネ)


まとまりのない文章だが、人生初のライブを成功させた友人と、陰で支えることに全力を出し切れるもう一人の友人に、敬意と、今後の野望を込めて。

取り急ぎ。笑

それでは。

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