人は必ず変わるけど、変わらないものもあるから、わたしは「デビュー作」が好き。
前回のnoteで、クエンティン・タランティーノ監督の長編デビュー作『レザボア・ドッグス』について書いた。
記事の最後には、最近再スタートを切ったわたしのポッドキャストのURLも貼ってみたりして、映画語りの幅を広げていけたらな、なんて思っていたりする。
そう、人はそうして幾つになっても、どんなに小さなことでも、映画レビューのやり方でも、日々何らかの変化をするものだ。昨日まで嫌いだったものが、今日は好きになっていたりするかもしれないし、真逆だと思っていた価値観が、いつの間にか自分のものになっていたりする。明日のほうが、間違いなく髪は伸びているし、顔も老けている。時間に支配されたこの3次元空間で生きる以上、人は必ず変わり続けていくのである。
だが一方で、わたしは「変わらないもの」も確かにあると思っている。
表現を変えれば、それはその人の「天性のモノ」と言えるかもしれないし「頑固なところ」とも言えるだろう。自分らしさの根源、なんていう表現が、個人的には結構しっくりくるのだけれど、何かそういう核となるようなものも間違いなくあるはずだ。
そしてわたしは、そういう人の真髄に触れる、みたいな瞬間をとても大切にしたいと思っている。だが、日常生活でそういう場面に出くわすことは非常に、非常に稀であることもまた事実。仮面だらけの世界では、向かいに座るその人のことですら、真の顔を覗き見ることはむずかしい。
そこでやっぱり登場するのが、映画である。
誰かの「デビュー作」と言われる映画である。
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冒頭の話に戻るが、わたしの大好きな映画監督 クエンティン・タランティーノの長編デビュー作である『レザボア・ドッグス』を観て、わたしは久しぶりに、自分の心臓を素手でぐにゅっと握られるような感覚を覚えた。
あ、この人の源流はここだ・・・と。
映画はよく、非日常を味わえるものなんて言って、旅行をしたような気分になれたり、見たこともない世界に連れていったりしてくれるという表現で言い表されることもあるが、それ以上に、ただぼーっと生きているだけでは絶対に踏み入れることのできない、他人の心の奥の底、というものに出逢えることも、映画の持つ大きな魅力だと思っている。
そして、それがより一層まざまざと映し出されやすいのが、いろんな監督の、いろんな形のデビュー作、というわけだ。
早い話、ここでざっと、わたしのお気に入り「デビュー作映画」を挙げてみたいと思う。
・『スリザー』(ジェームズ・ガンのデビュー作)
・『死霊のはらわた』(サム・ライムのデビュー作)
・『THX-1138』(ジョージ・ルーカスのデビュー作)
・『激突!』(スティーヴン・スピルバーグのデビュー作)
・『トイ・ストーリー』(ジョン・ラセターのデビュー作)
・『ルパン三世/カリオストロの城』(宮崎駿のデビュー作)
・『十二人の怒れる男』(シドニー・ルメットのデビュー作)
・『アンソニーのハッピー・モーテル』(ウェス・アンダーソンのデビュー作)
・『アメリカン・スリープオーバー』(デヴィット・ロバート・ミッチェルのデビュー作)
などなど。
もちろん、『レザボア・ドッグス』(クエンティン・タランティーノのデビュー作)も。
正直なところ、これらの作品はどれも荒削りな映画である。
新奇性という観点から、デビュー1作目にして名だたる映画賞を総なめに!なんてアメリカンドリームな話もゼロではないが、おそらくほとんどは、興行的にも、監督自身の満足度としても、十分に満ち足りたものではない。
だが「デビュー作」には、その後続く"2作目以降"には決して見ることができない、もがき苦しみながらも、それでも何かを伝えたいと思う、魂の叫び的なパワフルさが宿っていることが多い。
まだ何も武装していない、生身の監督自身の想いが、そのまま反映された作品。綺麗に完成された映画では決してないけれど、その邪悪さは観客の心を掴んで離さない。わたしはそういうものに触れられる瞬間を、たまらなく愛おしく感じ、本来ならば人さまに見せたくないそんな自身の弱点を、おもしろおかしく披露してくれることに、並々ならぬ感動と畏敬の念すらを覚えてしまうのだ。
だから「デビュー作」と言われる映画が、総じて好き。
上記に上げた作品たちは、中でもわたしのお気に入り。
間違いなく好き嫌いはあるだろうが、面白い映画体験になることは間違いないと思うので、もし観たことがない作品があれば、是非。
そして、自分自身の原点はなにかな~なんて思って、普段の日常生活でどんな姿を表出していれば人は安心してくれるのかな〜なんて考えて、それ以上に、もし自分で映画を撮ることがあったら、どんなデビュー作を作るかな~なんて、想像してみたりしている。
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