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夜明け前の珈琲 (短編)

無機質な青白い灯りの下で、僕はぼうっと遠くを見つめていた。珈琲の湯気と煙草の煙が絡み合う、今にも消えそうな白のダンスは、僕と君との時間のよう。僕は笑顔を噛み締め、じゃっと煙草の火を消した。もう急いで帰る必要もないんだと、嬉しいような寂しいような気持ちを胸に、僕は珈琲片手にゆっくりと歩き始めた。不思議と足取りは軽かった。気持ちだって晴れやかだった。ただ、あと一日だけでも、あの夢の時間が覚めないでいてくれたらと願ってみたりした。そうしてふっと風が吹き、僕は少し肩を竦めた。手元から微かに珈琲が香った。全く色気のない珈琲だが、魔法で溶かしたかのように思い出が蘇る。僕は冷めないうちに珈琲を啜り、進みゆく時間に今の一瞬だけでも抗おうとした。

あの日、扉の前に立つ君は、小さくも輝きに満ちていた。すべてを吸い込むような瞳を前に、僕は一杯の珈琲を差し出した。始まる君の夢話、僕の気分は夢心地。この時が永遠に続いてくれと、入れたミルクも右腕に巻かれた腕時計も、このまま回らず壊れてくれと、願うことすらあっただろう。いつか見たビル・マーレイの映画のように、僕を時間の罠に閉じ込めてはくれないか。僕は君の瞳に連れられて、君の時間に恋をした。踊る湯気をチェックして、崩れない前髪に安堵する。だが今ここで眠ってしまったら、この時間にも別れを告げる、そんな気がしてならなくて、僕は夜明け前に珈琲を飲む。

君が飛立つ時が来る。いや、僕が離れる時が来る。壊れることなく、いつも通りに時を刻み始めた明る朝、大きく輝く君がいた。君の輝きは僕の輝きで、君の過ちは僕の責任。君の成長は僕の老いで、君の時間は、君だけの時間。一瞬だけでも、一緒に君の夢を見た僕は、嬉しい影の立役者となり得ただろうか。君はいつか見た映画のジュリエット・ルイスのように、僕を大人にして去っていくのか。終わり始まる僕の夢、始まり続く君の夢。僕は行く、君は進む。等しく世界は廻り、熱い珈琲も冷めていく。豊かに冷たくなった黒を見て、僕はまた夜明け前に珈琲を飲む。

僕と君との間に東風が吹いた。ふわっと香る珈琲はまだ未成熟で青かった。君の時計も僕の時計も、針が確かに動き始めた。夜明けが見えた僕らの世界に、朝霧が立つ気配がする。
だんだんと視界が白くなる。2人が太陽に照らされる、冷めゆく珈琲を優しく握りしめて。


新曲、リリースされました↑


原曲となるインストです↑

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