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東出・ひろゆき置いてきたの面白さはどこか。

今AbemaTVで、晩御飯とビールのお供にぴったりの旅番組が配信されているのはご存じだろうか。この旅番組は、俳優の東出とひろゆきという特異な2人がローカルバスで南米めぐるという旅番組だ。南米は、所持品を撮られて追いかけたら射殺された事件や、マフィアが幅を利かせていたりと、治安が悪いというイメージが先行し、日本から遠いこともあり、旅行先として選ぶ人は少ないだろう。血気盛んなバックパッカーであれば旅路につくのかもしれない。

そんな危険とバックパックを背負いながら、番組の企画により南米に放り出された東出とひろゆきは、ローカルバスを乗り継ぎ各都市を回っていく。普通は観光で訪れないような街も登場してくる。この旅の醍醐味は、東出とひろゆきの科学反応の他、現地の人とお酒を飲みながら語り合い、現地の人のストーリーや生き様を味わえることだ。また、旅の疲れをビールで流すように毎晩現地で調達するビールを飲む光景は、観ていて快感である。現地の人と乾杯すると特別に番組から食費が支給される。食べ放題制だ。神経が図太いひろゆきは躊躇なく現地の人に話しかけていき、一期一会の出会いが生まれるのである。仲良くなった人から、現地の人しか知らないような穴場スポットを教えてもらうこともある。観光ガイドブックに載っている場所をたどっていく資本主義的な「旅行」という消費でなく、偶然を楽しむこれこそが旅の真髄だ。

たしかエクアドルの港町を訪れた時、夕暮れ時に地元の大人たちが大勢集まり、ビーチバレーに興じていた所に、急遽東出とひろゆきが混じることになった。単なる観光客ではなく、彼らの日常に溶け込んだ一員としての体験を味わうことができる。バレーのネットこそあったけれど、そこに言語の壁はなかった。その土地や人に少しだけ溶け込む、これが旅の本質なのだろう。最近パリオリンピックが開催されたが、スポーツの本質的な意義を改めて考えさせられた。オリンピックは、もともと国境を越えて、様々な人々がスポーツを通じて交流し、言葉や文化の壁を越えて楽しむことに意義があった。しかし、現代では競技の勝敗に焦点が当たりすぎているかもしれない。こうして東出とひろゆきが異国の人に混じり、スポーツを楽しみながら、互いをリスペクトし、同じ時を共有する姿を見ていると、五輪の意義が再確認された。
日本という均質な社会で暮らす中で常識という凝り固まった目線をほぐすことができた。

南米のチチカカ湖には、ウル族と呼ばれる人々が人工の浮島で生活していた。彼らは湖に自生するトトラという植物を束ねて水面に浮かべ、島を作り、その上にトトラで家を建てている。この浮島は、インカ帝国やスペインの攻撃から逃れるために作られたと言われているようだ。現代社会では、生活様式が均質化され、多くの人が同じような価値観やスタイルを追求している。彼らの暮らしはその流れに逆らい、伝統と自然への敬意が感じられた。このような特異な生活様式を目の当たりにすることで、世界にはまだまだ知られていない多様な生き方が存在していることを知ることで、縮まった視野が少し広がったような気がした。

番組を観ていると東出は心の奥で常に何かと何が葛藤している哲学的な人間だということがわかる。旅の中でも内省を続けており、その奥深さが旅の途中に垣間見える。ひろゆきが彼に対して投げかける本質的な質問は、まるで静かな湖に小石を投げ入れたかのように、彼の内面の思考を揺り動かします。ただ観光地を巡るだけでなく、旅を通して自身と向き合い、新たな気づきを得る過程を視聴者に共有している点が、この番組のもう一つの魅力だ。旅はまだまだ途中だ。取れ高が多すぎて、嬉々として大幅に配信期間が延長されているようだ。さあ南米は広い。

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