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オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:ほぼ終結


さて、前回のストーリー(下にリンク貼っときました)でちらっと触れた問題点とは、海外で働く人にとっての大きなハードル、ビザである。

ビザが欲し~

外国に行って、その国のライフスタイルが好きになり、仕事も幸運に見つかり、ああ、もっと居たいなあ~、という時に立ちはだかるこのビザという壁。これが叶わず、泣く泣く帰国した友達を結構見てきた。

自分も、最初に出してもらった期限つきの就労ビザの期限が切れそうになって来て、永住権をもらわなければ帰国しなくてはならぬ。同時期に、レ・クレドールのメンバーになろうと頑張っているところだったので、ここで帰国するわけにはいかんでしょ。

これは自分の希望なんだし、会社に頼らない方がいいかな、と考え、友達にビザ専門の弁護士を紹介してもらい、手続きを始めた。この辺がやはり考えの甘い日本人で、どうせなら会社に、ダメもとでもいいから頼めばよかった。費用までは持ってくれなかったと思うが、多分会社にも弁護士のつてとかはあっただろうし。

実は、ちらっと調べ始めた時点で、コンシェルジュという役職では簡単に永住ビザは出ないよ…とは言われていた。どこの国も一緒だと思うが、ガイジンに就労権や永住権を与える場合には、優先順位みたいなものがある。お金持ちな人、お金持ちになる可能性のある資格を持っている人、人手不足の職種が出来る人…などは大歓迎。もちろん、それ以外にも、人道的支援(難民など)もあるけれど、基本は自国にとってプラスになる人、税金をがっぽり納めてくれる人大歓迎!ってな感じなのかな。

そんなことを言ったら、サービス業なんて、いくら当人が頑張って働いていて、仕事にプライドを持っていても、国としてはあんま関係ない。もっと言えば、オーストラリア人の就職機会を奪っている、という可能性もある(オージーはサービス業はめんどくさいから余りやらないんだけどね)。

「あ、あんた何か特別なスキルある?ない?じゃあちょっとダメだね~」

みたいな。

(あ、資格がなくても永住権が取れるマジック、「現地人と結婚しちゃう」というのがありますが、自分には縁のない話だったなあ…)

そうは言われても、さすがに自分はナイーブな日本人。「まじめに働いてるんだし、きちんとした仕事についてるんだから説明したら分かってもらえるだろう」と楽観的に考えていた。お役所は、一人一人の性格とかを見て判断するわけではないのにねえ。

難問山積

その手続きだが、めちゃくちゃ時間がかかった。なんだかんだで3年近くかかったのかなあ。持っていた就労ビザはその途中で失効してしまったので、その後はどうなるかというと、ブリッジングビザというものに移行する。これは、現在申請してるビザの審査が下りるまでは旧ビザのステータスを続けられますよ…という、なんとも綱渡り、ブリッジと言ってもかずら橋のような脆弱なビザ。明日もしかしたら申請が却下されるかもしれないし、そうしたら荷物をまとめて28日以内(だったかな)に出国しなければいけない。

いや、実際に2回だったかな、申請が却下されたのである。「これは詰んだな~」と、虚脱状態に陥ったことも数知れず。目の前が暗くなる、ってのは本当にあるんだなあ、と思った。

友達からは、永住ビザが出やすい職種、ホテル関係でいえばシェフとかに一度なって(もちろんまた学校行き直さなくちゃいけない)、ビザが出たらまたコンシェルジュに戻ればいいじゃん、みたいなことも言われたが、そんな遠回りをするくらいなら日本に帰ってコンシェルジュになった方がいい、と思い、絶体絶命になるまではシドニーで現職を続けようと決意し、却下された後は弁護士さんと策を練って申請の仕方を変えたりと、悪あがきをしていた。

そして結果は

いまだに何が決定的な要因になったのかは不明だが(もしかしたら、単に担当者が音をあげただけなのかもしれない)、2006年の5月1日(あ、今日じゃん!)にビザの申請が通ったという通知をもらった時は、半信半疑だったけど本当にほっとした。

その手紙とパスポートを持って、移民局のオフィスに行き、パスポートにビザのステッカーを貼ってもらった。とにかくお祝いをしたかったので、移民局のすぐ近くのパブに入り、ビールを飲んだ。そしていそいそとパスポートを取り出し、そこに書いてある、 Holders permitted to remain in Australia Indefinitely (所持者はオーストラリアに永久に滞在できる)という文字を読んだときは泣けるくらい嬉しかった。

それにしても、時間とお金がかなりかかったプロセスだった。待っている間は本当にストレスたまったし、その間もちゃんと仕事をし、しかもレ・クレドールの試験の準備もしていたのだから、我ながら今考えるとよくやった!と思う。あ、でも、レ・クレドールのメンバーになりたかったから何が何でもオーストラリアに居座ってやろう、とビザ関係のストレスにも耐えられたのかな。それがなかったら、まあいいや日本帰っちゃえ、とか、仕事もテキトーにやってりゃいいや、と思っていたかもしれない。

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これは、グレースホテルでクリスマスパーティーをやった時の写真かな?2002年らしい。仮装してるのは当時の支配人!

今から考えると、2006年は自分にとって幸福なことが立て続けに起こった年だったのだなあ…初心を忘れずにしなくては!