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遂に…コロナ感染の記録

クリスマス前にコロナに感染してしまい、しばらく自宅隔離していた。幸運にも軽症で済んでいるので(いまのところ)、あまり他の人の参考にはならないと思うが、自分のためにも記録を残しておこう…。

12月30日。

携帯のメッセージ通知が鳴った。見るとこんなメッセージが。

予想はしていたので驚きはしなかったが、現実を突きつけられた気になった。

「ついにオレもコロナに罹ってしまったんだ…」

そもそも、いつどこで?


どこで感染したか?というXデーは、ピンポイントできない。

ひとつ思い当たるのは、12月21日に友だちと会って、バーで差し向かいで1時間ほど飲んだこと。

その2日後に症状が出始め、その友人も感染したと伝えられたので、ここがポイントだったのかな?と思う。両者ともにバーにいた誰かからもらったのかもしれないし、どちらかがその前に感染していて、うつしたのかもしれない。それとも、全く別々の場所で感染したのかもしれない…あれこれ詮索してもしょうがない。

この時期はクリスマス前ということで、クリスマスパーティーや忘年会と、毎日のように出歩いていたので、どこでもらったとしてもおかしくなかった。いわゆる、「気の緩み」もあったと思う。

今シドニーではコロナ感染者が爆発的に増えていて、これまではきちんと機能していた感染源を特定するシステムが完全に崩壊している。だからいつどこで、ということを考えるだけ無駄というものだし、誰かを責めるという問題でもない。もう、かかるもかからぬも運次第、という状況だ。

あれ、なんかおかしい…

症状が出始めたのは、12月23日。朝起きたらアレ?と、喉の違和感を感じた。そして鼻もムズムズする。

「やべ、これって最近蔓延しているオミクロン株の典型的な症例ではないの?」と思ったが、困ったのはとてもマイルドな症状で、ちょっと飲んで騒いだ翌日によくなりがちな状態。

こんなんで検査に行くのもなあ~、と、その日はやり過ごした。

検査に行く


12月24日、朝起きてランニングに行った。走れるんだから問題ないよな、と思っていたら、走った後もなかなか暑さが去らない。

変だな?と思ってなにげに体温を測ったらびっくりした。

体温が、37.7度になっていた(僕の平熱は36.5度前後)。

これで一気に背筋が寒くなった。でもそれは気持ちだけで、改めて体温を測っても同じ温度。これはマズイ。

でもここで、「アレ?これって熱中症かも?」という余計なことを考えてしまった。確かに暑い中走ったし、昨晩は寝苦しかったので、体温が下がらないのかも…。

これは今から考えると、コロナウイルスが最初にオレの身体に奇襲をかけて、身体が過剰反応をしていたのかなあ…。

とにかく、幸い検査所が近くにあるので、PCR検査を受けに行く。この時期は、感染者数が非常に増えていて、検査所もかなり忙しいだろうから、大行列になっていたら困るなあ、と思っていたが、幸い待ち時間はそれほどでもなかった。ただし、結果が出るまで最低でも72時間はかかるとのこと。これまでは24時間ほどで結果が出ていたので、検査システムも飽和してきている事実を実感した。

その晩にまた体温を測ると、平熱に戻っていたのでほっとした。これは、ただの夏風邪プラス熱中症だったのかも…という希望を抱く。

結果が出るまで自宅隔離

検査を受けたら、結果が出るまでは自宅で謹慎(隔離)しないといけない決まりになっている。幸い数日前に食料を買っていたので、なんとかしのげそうだなあ、と安堵した。まあデリバリーだって頼めるし、最悪の場合友だちに買い物をお願いするという手もあるけど、何日か家で籠城できるような食料の備蓄は大事だなあ、と実感した。

家にいるだけだからそれほど空腹にもならないので、一日二食で過ごすことにした。まあ粗食でいいや。

これは本当にラッキーだったけど、コロナでよく報告される味覚、嗅覚障害は僕の場合ゼロで、食欲も影響なかった。なんなら、自宅隔離中は家で毎日のように飲んでいたし…(これはコロナに有効なのだろうか)。ってか、飲んでもいなきゃやってらんねーよ、って感じだった。

肝心の症状だが、幸い軽い症状が続いた。喉がイガイガしたり、鼻が詰まったりといった程度だけど咳き込んで息が詰まる、というほどでもなかったし、熱もそれ以降出なかった。それこそ、コロナの疑いがなければ普通に仕事に行ってしまうような程度の症状だった。

ただ、時どき胸のあたりがピリッと痛み、周辺の筋肉も痛みというか、だるさを感じた。このあたりでウイルスが気管支をアタックしていて、オレの身体の免疫力(プラスワクチン?)が戦っているんだなあ、と思った。オレ、頑張れ!

そうそう、ワクチンだけど、7月に2回めを打っていたので、そろそろ効き目が薄れている頃だと思う。実は1月アタマにブースター接種の予約も入っていたので、ああ惜しいタイミングだった。まあ、ブースターしたら感染しなかったかどうかは分からないけど。

でも、こんな軽症で済んでいるし、幸い他の人にも(知る限りでは)うつしていないので、これはワクチンの効果なのか、もともとの免疫力のせいなのか、それは分からないがこれもほっとした。

でも、家から一歩も出られないというのはつくづく精神衛生上よろしくない。
しかも結果が出ないので、気持ちが宙ぶらりんのまま。

裁判を受けて、判決がなかなか出ず、未決囚で独房に入れられたままの囚人の気持ち、なんだろうなあ。

なので、本を読むなり勉強するなり、というプロダクティブなことをする余裕は、体力的にはあったとおもうけど、精神的にはそんな気持ちになれなかった。

さらに悪いニュースとして、僕が受けた検査所では間違った結果を1000人近くの人に送ってしまったというビッグミステークが起きていて、僕はそのメッセージは受けなかったけれど、その検査所のシステムが崩壊しているわけだから、僕の検査の結果も大幅に遅れることになった。

もちろん仕事にも行けないので病欠が続く。ホテルも、スタッフが続々と感染者になったり、濃厚接触者になってしまい、勤務できる人がどんどん減っていき、ホテル閉鎖しなくちゃいけないんじゃない?というくらいだった。

ここで本当にありがたかったのは、職場からは非難めいたことは一言も言われなかったことだ。人手が確保できないので困っているのは間違いないのだが、それを実際に言われなかったのは本当に助かった。たぶん日本だったらそうもいかないだろうなあ…。

そして結果を受ける

で、冒頭のように12月30日に「陽性」の結果をもらった。

もうその時点では、鼻風邪が一週間近くも続くわけがないという事実を突きつけられていたので、ほぼ100%コロナ陽性なんだろうと思っていたので、特に驚いたり落胆したりはしなかった。あえていえば、

「あ~あ、ついに罹っちゃったよ…」といった、なにやら空虚な気持ちだった。

大差で負けているラグビーの試合で、やっと後半の40分が終わってノーサイドの笛が吹かれ、「やっと終わったか…やれやれ、ひどい試合だったわ。さっさとシャワー浴びておうち帰ろ」って感じ?

そうこうしているうちに、政府の隔離規定もなりふり構わない状況になって来ていて、最初は14日だった自己隔離期間が10日になり、さらに7日になった。それだけ感染者が増えすぎて、社会が回らなくなってきているんだなあというのを実感。

隔離解放の規定も、当初はPCR検査を受けて陰性なら…ということだったのだが、最終的には、症状がなくなったらもう勝手に出ていいよ!というなんともはやアナーキーなことになってしまい、これホントに大丈夫なの??と不安だ。

確かに、僕のような軽症なら、社会復帰はすぐ出来るから早めの解放はありがたいけど、もしまだウイルスを発散していて、誰かにうつしてしまったら誰が責任取るわけ?

それでも、職場からも、「体調戻って隔離期間も終わったのなら、さっさと復帰して!」と悲鳴のようなメッセージが来ていたので、大晦日恒例のシドニー湾大花火大会を音だけ聞き、隔離解放の初日である元日に、晴れて(でもないけど)職場復帰を果たしたのだった。

結局、保健局からはこんなSMSメッセージしか来なかったなあ…軽症だからこそ良いものの、体調不良でこんな対応しかされないならかなり不安だろう。

これから思うこと


Xデーから2週間ほど経ち、身体にはごく軽い違和感はまだあるが、ほぼ回復したと思う。

今朝はすこしビクつきながらも罹患後初めてランニングに行った。しばらく走ってなかったのでもちろん脚はなまっていたし、まだ思い切って走る気持ちでもなかったけど、ちゃんと10キロ走れたのでとても安心した。

「これなら、なんとかなる…走れりゃ、大丈夫」

やっとポジティブな気持ちが出てきた。

とはいえ、もしかしたら身体のどこかにLong Covidといわれる後遺症が残っているかもしれないし、それに対する一抹の不安はある。

でも、つくづく僕のケースは本当にラッキーだったと思う。

もっと熱が出たり、味覚障害が出たりというシリアスな症状が出ている人も周りにはたくさんいる。

今度は自分が、そんな人達をなにかの形で助けられる立場になれば、と思う。