見出し画像

100回目のパークラン

(なんかこんな名前のドラマがあったなあ…でもまあいいか)


2021年3月6日、100回目のパークランを走った。

パークランというのを知らない人にとってはなんのことやら…だろうが、学校の国語の授業のように「パークランについてXX字内にまとめよ」と問われたら、

「毎週土曜日午前8時に、5キロ走るイベント」

とでもなる。

最初に参加したのは2016年4月16日のことだ。それ以前からランナーだったので、ずいぶん遅いパークランデビューだな、と少し意外だが、土曜日も仕事があるホテルマンだったので、参加が難しいということがあった。ひとりで黙々と走るほうが好きなので、団体で走るということにあまり興味を持たなかったというのもある。

それが、2015年から新しいホテルで仕事を始め、シフトの定休日が土曜日になったので、「それじゃやってみるか!」となったのだろう。

パークランというのは毎週土曜にやってるので、毎週欠かさずに出ていれば2年で100ランは達成できるが、まあそうはいかない。

他の用事があり物理的に不可能ということもあるし、私の場合呑んべえなので金曜の晩に飲んでしまい、「二日酔いで行けんわ~」なんてこともしばしばある。ま、二日酔いで走るのも、酔いざましになるのでなかなかオツなものではあるが。

とにかく、その年は数えるほどしか参加していないのだが、翌年からは結構真面目に参加していて、だいたい月に2回ほどのペースで走っている。気を入れて5キロを走るのはいいトレーニングになるし、自分のタイムが徐々に速くなっていくのを見るのは、やはりモチベーションが上がる。そして老若男女、色とりどりの人が一緒に走るというパークランの魅力にはまってきたのだろう。

そして2018年の1月に50ランを達成。パークランで50ランを達成すると、マイルストーン・ラン(Milestone)ということで、記念シャツを無料でくれる(送料は払うけど)。

真っ赤な地に"50" と描かれたシャツを着てパークランをするとちょっと誇らしいし、「オレ、よくやってるじゃん」と自分をたたえたくもなる。

画像2

パークランはボランティアによって運営されているので、参加者は年に数回ボランティアをするように、とお願いされている。私もおそるおそるボランティアを始めたが、沢山のランナーがこちらにサンキュー、と言ってくれるのに驚き、自分もこれからはボランティアの人にどんどんお礼を言わなくては、と思った。

画像4

パークランのすごいところは、オーストラリア全土はおろか、世界のあちこちで開催されていて、それもちゃんとカウントしてくれる点だ。

旅行に行く際、その日程に土曜日が含まれていれば、近場にパークランの会場があるかを検索して参加した。これまで国内ではメルボルン、パース、キャンベラで走っているし、2019年には日本でもわざわざ東京のホテルで前泊をして参加した。ラグビーワールドカップの時期だったので、各国のジャージを着た外国人が多く、とても国際的な雰囲気だった。

画像3

これがその、二子玉川のパークランで走った時の写真(ボランティアの人が撮ってくれた)だが、楽しそうな顔しているわ…。

ところで、シドニーでずっと通っていた会場は家から片道5キロほどの距離だった。そこまでジョグで行き、気を入れて5キロを走り、帰ってくるとそれでもう15キロ以上走ったことになる。それはそれでラン距離が稼げるので良かったが、さすがにちょっとしんどい時もある。

それが2019年からは、家からもっと近い公園でのパークランがスタートしたため、参加の頻度がさらに増し、ほぼ毎週走るようになった。そして100ランを2020年には達成できるというめどもついた。

あのウイルスが世界を直撃するまでは…。

2020年3月7日。コロナウイルスでそろそろざわついてきたシドニーだったが、パークランはいつものように始まり、私もなかなかいいタイムで走ることができた。しかもこの日が90ランで、5月の誕生日までには100ランをぎりぎり達成できそうだ。お、すごい。

しかしその後、3月20日にオーストラリアは国境を閉ざしてしまう。国内の感染者数もどんどん増え、私の住んでいる州もロックダウンを発令。もちろんパークランのような大人数が集まるイベントは禁止されてしまった。

今から振り返るとあの時の空気は本当に重かった。私も仕事がなくなり、将来への不安を抱える羽目になった。幸いに走ること自体は一回も禁止とならなかったので、ひたすら走ることで心身を保つことができたが、100ランが目前となっていた私としては、特にやるせない気持ちだった。いつになったら達成できるのだろう…。

オーストラリアは厳しいコロナウイルス対策をしたおかげで被害を抑えることはできたが、その反面いろいろな規制はなかなか解除されず、パークランも再開されなかった。

これは今年中に100ランはおろか、パークラン自体も出来ないのでは…とやや諦め気分だった時、少し遠い地区でのパークランが再開した、という話を聞いた。電車に乗って片道1時間ほどかかるが、そんなのどうってことない。

そして2020年12月26日、9ヶ月ぶり、自身91回目のパークラン。たくさんのランナーと一緒に走るのって、こんなに連帯感があったのか!

ただ、ここでさらなる問題が。Covid-19のあおりをくってリストラ、転職をした私は夜勤シフトとなり、土曜日の朝は夜勤明けというケースが多くなった。これではパークランに参加できないではないか。

いや、物理的には可能である。夜勤シフトが終わるのは午前7時なので、ダッシュで仕事を抜け出して電車に乗れば8時のスタートには、間に合う。

でも、夜勤明けで走るなんて、無謀過ぎないか?途中で心臓発作でも起こしたらどうしよう?

不安というか、そこまでして走らなくてもいいんじゃない?という理性の声が頭に響いたが、ともあれ100ランはさっさと達成したい。ゆっくり走れば死にはしないだろうと、参加してみた。さすがに身体は重たかったが、それなりに走れたのには驚いた。

そして2021年3月7日。夜勤明けの寝ぼけた身体ながら、100回目のパークランに参加した。ラン友もわざわざ来てくれ、その心遣いがうれしかった。お喋りをしている内にすぐ8時になり、100回目のスタートだ。その後は、今までのパークランの記憶が次々に蘇り、感情が溢れかえり、ゴールの時は涙目になって…

なんてことはなく、いつもの5キロのコースを淡々と走った。さすがにゴールした時はちょっとした達成感を感じ、心のなかでガッツポーズをしたけれど。

画像1

でもやはり、とても楽しそうな顔をして写っている。

これで晴れて"100 Club" の仲間入りをしたわけだが、達成した証に今度は黒のシャツがもらえる。これが届き、着て走るのが待ちきれない。

さて、次のマイルストーンは?実はボランティアを25回やるとこれもまたマイルストーンとなる。100ランを達成したことだし、こんな素晴らしいイベントができるのもボランティアのおかげだから、こちらもちょくちょくやっていきたい。

ランの次なるマイルストーンは、これはかなり長丁場で250ランだ。5年、いやもっとかかるかもしれない。その時の自分の年齢を考えると、うーん…となるが、別に速く走らなくてもいいので、楽しくその時まで走り続けたい。

それにしても…走っていてよかったわ。