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オリンピック、見ませんでした。

今回のオリンピックを個人ボイコットしたことについて、なぜそうしたのだろう、という原因・理由をまとめてみました。まず断っておきたいのは、オリンピックを観戦し、応援した人に対しての反感とか見下しとかいった感情はありません。見る見ないは個人の自由だから。でも以下の文章は、オリンピックを熱心にフォローし、応援していた人が読むと気を悪くするかもしれないので、スキップしたほうがいいかもしれません…。

やっとオリンピック終わるのか…と、オリンピック最終日に思っている。

今回のオリンピックは、事前に自分で決めた通り、ただの一秒もテレビを見なかった。まあいわば個人ボイコットをしたわけだ。

(我が家にはテレビないのでこういう風に書くと正確ではないけど、動画やSNSでもオリンピックはフォローしなかった、ということです。)

競技以外の出来事はニュースとして見ていたけど、開・閉会式、実際の競技は見ていない。

何か、おかしいよ…。と思ったからだ。

断っておくと僕はスポーツ観戦はけっこう好きで、野球、サッカー、ラグビーなどを観るのは好きだし、今住んでいるオーストラリアとは時差も少ない今度のオリンピックは、何もなければそれなりに観戦していたはずだ。

コロナ禍での開催

見ないと決めた理由の一つはもちろん、コロナ禍での開催という点だ。

一過性の流行病ならいざしらず、世界的なパンデミックの中でこのような世界一規模の大きいイベントを開催する意義ってあるのだろうか?

世界中で苦しんだり死亡したりしている人がまだまだ大勢いる中での「祝祭」は倫理的にも疑問だし、伝染病の防疫という点でも、世界中から大勢の人を一つの都市に集めるというのは、非常にリスキーなことである(いや、実際もう既にリスクは広がっているのかもしれない)。

でも、他の国でもスポーツやってるじゃん!それはいいの?という人もいるだろう。オーストラリアだってプロスポーツはロックダウン中でも(色々規制はあるが)行われている。

オーストラリアでも、今年1月に例年通りテニスの全豪オープンを開催したが、その時は東京オリンピックと比べるとはるかに厳しい防疫体制だったし、当時は現地も感染者がほぼゼロの状態だった。

それでも途中で感染者が出ると、あっという間に無観客試合に変更して対応した。

そんな感じで、何が何でもこのイベントのせいで感染を広げるようなことがあってはならない、という当事者の決意を感じることができたので、若干反対する人はいたけれども、おおむね好意的に捉えられていたと思う。詳しくは下の記事を参照されたし。

それに比べると、東京オリンピックの対策は、杜撰としか言いようがない。

もし、日本がもっと真剣に、水際対策もこれだけやりました、国民の皆様には迷惑や不便が掛からないような対策も取りました、だから開催します!と計画し、実行できたのであれば、僕も「じゃあ応援するわ」と思ったはずだ。

今現在、予想通りというか東京、日本の感染者数は激増していて、医療崩壊…という言葉も聞かれる。僕は国外に住んでいるから、実際の街の雰囲気、マジョリティの人がどう考えて行動しているかというのを肌で感じることはできない。ただ、数字やニュースを見る限りでは、かなり危険な状態だ。

僕だって家族や友人が日本にいる。その人たちが国や自治体の杜撰な対策によって感染でもした日には、もちろん怒りを覚えるだろう。

実際に競技をしているアスリートは、4年に一度のこの日のためにどれだけ鍛錬したか、というのは想像できる。しかもアスリートだってコロナ禍で思うように練習できない環境にあっただろうから、その困難を乗り越えてオリンピックという一世一代の舞台に立つ、という事自体すごいアチーブメントだと言って間違いない。

あり得ないことだが、もし僕が同じ立場になれば、葛藤しつつも結局参加してしまったような気がする。特に日本国外の選手なら、日本の状況なんてよくわからないだろうし。

でも、僕はコロナ禍で受けるべき医療処置も受けられずに死にそうになっている人がごまんといるなか、その同じ都市で行われているスポーツイベント、そこで戦っている選手の気持ちに移入して競技を見、拍手喝采を送る気持ちには到底なれなかった、今回は。

度重なる不祥事

もう一つの理由は、今回のオリンピックでは舞台裏の汚いシーンを嫌というほど見せられたからだ。

開催に立候補した時のキーフレーズだったはずの、復興オリンピックという言葉を覚えている人が、今はどれだけいるのだろう?

日本のアスリートだって怪しいものだが、海外のアスリートなどは、もう誰も覚えていないのではないだろうか。

(僕はこのように実際の競技を見ていないので、コメントしたアスリートもいるとは思いますが、開催側としてアピールはしているのだろうか…)

この、「サイレント・フクシマ」というドキュメンタリーを見ると、復興なんて程遠いのだなあ、という途方も無い現実を突きつけられる。

なんだ、結局人の不幸をダシにして開催権を獲得しただけなのか…とがっかりしてしまった。

アスリート一人ひとりにそれを求めるのは酷かもしれないが、開催者側がもっとアピールしたら良かったのに。それとも、知らしめたくなかったのかな?

そして開催前そして開催中も続く不祥事のオンパレード。ここでいちいち列挙するのが面倒なくらい、まあ良くも次から次へと出るものだと、ある意味感心してしまった。

オリンピック、ワールドカップといった大きなイベントには多かれ少なかれ「政治」「利権」といったものが絡んでくるというのは当たり前なのかもしれない。東京オリンピックに限ったことではなく、以前のオリンピックだってこんなものだったのかもしれない。今回はそれらがあまりにも杜撰すぎて隠蔽すらできず、おおっぴらになってしまっただけなのかもしれない。それにしても、自国のイベントがこんなに汚されてしまったことに、僕はかなり強い怒りを覚える。

(お前は海外に住んでいる出羽守で、税金も払ってねーんだから偉そうなこと言うんじゃねえよ、とか言われそうだけど、自分の生まれ育った国がこんな有様になっているのに言わない訳にはいかない)

結局、あまりにも多くの点で東京オリンピックは準備不足で、無配慮で、自分勝手な、開催者の都合だけを考えたイベントだったと思う。

そこには、選手のため、開催地である東京、または日本の一般市民に対する配慮が全くと行っていいほど足りなかったと思う。

「とりあえずやってしまえ!始まってしまえばあとのことは知らん」

というメッセージは痛烈に、あからさまに読み取ることはできたけれども。

というわけで見ませんでした

そんなこんなで、

「あ~、こんな気持ちの悪いイベント、たとえアスリートが頑張っていたとしても見ないほうが精神衛生上いいや!」

という結論に至ったのである。

フォローして応援していた人に対しては、反感とかはない。個人の自由だし、そりゃあ僕だって、わだかまりなく日本やオーストラリア、世界中のアメージングなアスリートの活躍を応援したかった。だって、自国でのオリンピックだよ?応援しないわけにはいかないじゃない、本当なら。

でも、こんなの見てらんないよ。

「こんな大変な時期なのによく開催までこぎつけた!ニッポン、トーキョー偉い!」なんて思えないよ。

…というわけである。

そして、見なくても全然困らなかったのには少し驚いた。スポーツは好きなので、少しは禁断症状がでるかな、と思ったけど。

逆にいうと、今回のオリンピックはそれだけ始まる前から幻滅させられた、ということなのだろう。IOC、JOC、東京都、日本政府、お前たちのせいでオレはオリンピックを楽しめなかったんだからな!と逆ギレしておこう。

別に僕一人が見なかったといっても、何の影響もないだろうからまさに焼け石に水、大海の一滴、ってやつで、主催者側にとっては屁でもないだろう。そして事前の決意…といっても誰に約束したわけでもないから途中で考えを変えて見ても誰も困らない。でも見なかった。

自分でもややこしい性格だなあ、と苦笑してしまうが、今は見なくてよかった、とスッキリしている。

最後に、これがきっかけで日本のコロナ感染者がこれ以上増加し、重症者や死亡者が増加しないことを痛に願います。



(追記)

このような思いに至ったのは、暇だったのでニュースを漁っていたのも原因だと思う。そういう裏事情を知らなければ、僕も楽しくオリンピック観戦していたと思うから。知らぬが仏。

知ってしまうというのはある意味面倒くさいことだと思う。

コロナだって、気になって調べれば調べるほど答えがなくて絶望してしまうけど、ウイルスは目に見えないものだから、知らないなら知らないで、臭いものになんとやらではないけどお気楽に生活できるような気がする。

日本の一般の人はその傾向が、こういう言い方をすると悪いけどあると思う。オーストラリアと比べるとコロナへの危機感が桁違いに低いというか、正しい情報が言葉の壁もあってもたらされていないように、国外からは見える。

面倒くさい世の中だからこそ、なぜ?どうして?と自分、世の中に問い続けなくてはいけないのかな…。