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アジア人差別発言をした高校教師に言いたかったこと

“You don’t have to be quiet Asian girl just cause you are”
「アジア人だからって静かなアジア系女子でいなくてもいいのに」

真っ向からのヘイトを向けられたわけではないかもしれない。クラスの半数以上の笑いを誘った、偏見を用いたジョーク。
彼、そして笑ったクラスメイトの多くにとってジョークであっただろうその発言は、私にとっては全くもって冗談じゃなかった。
もう6年以上経つというのに、思い返すとはらわたが煮え繰り返ってしまう。

今でも怒りが沸々と湧き起こるのは、あの時、何もできなかっただからだと思う。
突然自分を標的とした嘲笑に晒されて、驚きで何もできなかった。
あの時の自分を救うために、そして、偏見や差別に晒された際にあの時よりもしっかりと反応できるように、あの教師に言いたかったことを書き記そうと思う。


まずはことの背景を整理する。
私は日本人の両親のもとで生まれた日本国籍で、親の再婚がきっかけで渡米し、現地校で7年弱を過ごした。その後親の仕事の都合で帰国し、高校最後の数年間は日本の米軍基地内にあるアメリカンスクールで過ごした。基地の中には、そこへ配属された親の子どもが海外にいる間も継続してアメリカの教育を受けるために本国と同基準の学校が設置されている。その学校に私も通っていた。
親のどちらかが軍属、という点では極めて特殊だが、それを除けば通っている生徒はアメリカ現地の学校のそれとそう変わりはない。

そんな学校での授業で、普段の担任が休み、サブと呼ばれる臨時講師が出欠を取っていた時のことだった。
その日私は風邪気味で、発話のたびにのどが痛むためなるべく話すのを控えていた。喉が痛む時はなるべく話さず休ませるのが一番、とどこかで読んだことがあったからだ。
1日全く話さない、というわけではなかったが、「喉痛いから今日はあんま話さない」と同じ机(4人人グループで机をくっつけているのが基本のクラスだった)のメンバーに言う程度には会話していた。

そんな中ベルが鳴り、足を組んで座った男性のサブー臨時講師ーが、名簿の名前を順に呼び始めた。
特にアナウンスはなかったと思うが、大抵の場合、出欠を取る際にサブは
“Raise your hand or say ‘here’ when you hear your name”
「名前を呼ばれたら手を挙げるか”here”(=在席の意)と言うように」と指示を投げかける。
それが通例であった、というのが私が当時頭の中で抱いていた前提だった。から、2つの選択肢のうち、喉にダメージを与えないジェスチャー=手を挙げることに留めようとシンプルに考えていた。

私の名前は前半の方なのだが、私の前に呼ばれた生徒は皆声で“here”と言うことを選んでいた。私の名前が呼ばれ、私は手を挙げた。しかしサブは名簿に目を落とし、こちらに気づく気配はなかった。要は、少しもたついたのである。他のクラスメイトが注意を促すかサブがこちらに気づくかして、なんだ在席か、とその時間は過ぎ去るものだと思った。

そして、冒頭に戻る。
発言そのものだけではそこまでショックを受けるものでもないかもしれない。
けれど、サブの放ったその発言に、同じグループで机をくっつけていたクラスメイト以外のほとんどが笑った。
私を揶揄した、その教師の発言に、笑っていた。
瞬間、となりに座っていたハワイアン系の女の子が、深刻そうに口早に”Are you okay?!”(大丈夫?)と私の腕に手を触れてきてくれた。
その言葉で、ああ、私は今嗤われているのだ、と理解した。
一呼吸遅れて、正面に座っていた男子ー細身で眼鏡をかけた白人の男の子で、当時は知らなかったが今はゲイであることをオープンにし恋人もいるーが、隣の女の子と同じように、”Are you okay, xx?”と名前を添えて身をこちらに乗り出してくれた。
その気遣いは嬉しかったけれど、同時に自分がひどいことを、そんな心配をすぐに向けられるほどの発言と続く嘲笑を浴びせられているのだと言う事実を自覚させられて、泣きたくなった。感情が昂ると泣いてしまいやすい私は、涙を堪えるためにただ黙った。
そう、黙ってしまったのである。
それを間違いだと断罪できるほどの確信は持ち合わせていない。当時だって怒りがこみあげ、脳内では数えきれない言葉が飛び交っていたが、そんなふうに言うのならもうこいつが何を言おうが絶対声を発してやるものかと、とっさに反応できなかった自分を正当化するように感情を抑え込んでいた。
けれどそんなの、何の意味もない。彼は変わらないし、クラスの嘲笑は止まず、私の尊厳は踏み躙られたまま。踏み躙っても何も言い返してこないという事実を作ってしまった上に、男性教師の言い放った「静かなアジアンガール」とやらにまんまと加担してしまったのである。

今、彼に言い返せるのなら。
あの時、咄嗟に反応できていたら。
そんな夢想のシナリオだ。
あるいはこれは、あの日の彼と自分、その場にいたクラスメイトに向ける手紙である。

私のテーブルは彼に背を向けるような位置にあった。
だから、まずは居住まいを正し、立ち上がって、彼のもとに歩みを進めればよかった。
座りなさいだのなんだの言われても、私を笑いものにした教師の言うことなど聞いても仕方がないのだから。
座ったままでも、せめて彼の方に向き直って、そしてこう言う。


「今日は喉が痛いので発話を控えていました。話すたびに痛むので、休めようと思って。けれど貴方の発言が生む痛みの方が遥かに大きいので、話すことにします。私のためでもありますが、これから先生が、私のような他者に生み続ける傷を少しでも減らしたいので。
貴方はただの冗談なのに何をそんなにと仰るかもしれませんが、そうやって軽視する姿勢こそ問題です。面白おかしくブラックジョークなんて呼ばれるような発言を躊躇なく行う気さくな先生としてのキャラに囚われているんだとしたら、他者を堕として笑いを得る歪みに気づけないほどナルシズムに蝕まれていることをご自覚ください。
私は実際、長い間貴方の言うような「静かなアジア人の女子生徒」でした。英語が全くわからなかったので。今はこうして英語も上達し、静かでいるかいないかを選ぶことができます。いつもうまく行くわけではありませんが、自分の状態を鑑みて、周囲のことをなるべく考えて話すようにしています。それでも考えなしに発言してしまうことは多くありますが。
先生の発言も考えなしなものだった、と私は解釈したいです。悪意に満ちているものだったとすればそれはあまりにも悲しいので。
謝罪してくださると言うのなら結構ですが、謝られても私は貴方を許しません。そう簡単に、すぐに、人とその行動が私にもたらしたものを許せるわけではないので。最終的に許すか許さないかも含めて、そこに至るまでの過程は私のものです。
けれど貴方には、教師として、人間として、もっと考えて発言をしてほしい。考えなしな発言で人を傷つけたのなら、それにせめて気づき、是正へ向かう自省を行なってほしい。言葉は人を生かすし殺します。あなたが言った発言そのものは、場合によってはさして問題視されないのかもしれません。けれどその言葉が容易に口をつくということは、それなりの理由があるはずです。自分の中に内在化された差別的思考や人種に基づく偏見は、現代社会に生きていれば誰しも大小抱えている重荷です。けれど、人種や見た目などを揶揄って誰かを傷つける発言をしても誰も今まで止めず、あなたに対して叱りも怒りもしなかったのなら、とても悲しい。
あなたのパートナーが教えるピアノの授業を私は選択科目で取っています。私を含める生徒皆に真摯に向き合ってくれるとてもいい先生で、彼女も彼女が教えてくれるクラスも私は大好きです。
そんな彼女の夫が、私を笑いものにする差別的なコメントをする人だなんて、とても悲しいです。
これを機に、貴方の発言で傷を負う人間が一人でも減ることを祈ります。」



消化は英語でDigestと言う。
はらわたが煮え繰り返る、という言葉を一字一句表す慣用句は私が思いつく限り英語にはないが、腹の中で6年以上煮えていた怒りを、こうして言葉にすることで、一時的にでも「消化」することができた気がする。

だから、これは私のためのノートだ。
けれど、これを読んだ誰かが、私のように軽んじられ言い返せなかったいつかのことや、通ずる痛みを、少しでも消化する助けになれば幸いだ。

消化のプロセスは、栄養を取り込む作業でもあるらしいので。

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