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瀧本哲史「2020年6月30日にまたここで会おう」〜「答え合わせ」の日を迎えて〜

瀧本哲史「2020年6月30日にまたここで会おう」〜著者瀧本哲史さんは、昨年8/10に亡くなられた。亡くなられた直後、彼との出会いを振り返って個人的なメモのような追悼文をFacebookに書いて友人のみと共有した。

過去の私的な自身の追悼文を引用しながらnoteを書くのも変則的な気がするが、彼という存在を忘れないためにも、新たに刊行された「2020年6月30日にまたここで会おう」という本と「彼の死」(上記追悼文2019.8.16)「彼との永遠」(宿題の約束=今日2020.6.30〜)に、繋がる形で文字をモザイクの様に紡いでいきたい。

本を書くことについて

「2020年6月30日にまたここで会おう」6月も中旬過ぎて一気に読んだ。カレンダーを振り返えると、僕が瀧本さんと最後にあったのは2019/6/20の午後、一年前の今の時期だった。

”5月に久しぶりに僕が声かけて、川田省吾さん(DeNA創業メンバーCTO)と朝倉祐介さん(Mixi元社長)と瀧本さんと仲の良い投資家4人で彼と食事をした。驚く程痩せていた。僕なりに今やってる事、考えている事を話すと彼は「それは本にすべきだ」と。文章は苦手で書けないよ、というとその為に編集者という仕事があるんです。僕が編集者を紹介します、と。
悪い癖でズルズルしてると、彼から再び日程調整がしたいと連絡が来た。彼に取って一文にもならない編集者の紹介を何故ここまで熱心にしてくれるのだろう、と思いつつ、彼の本を出版した編集者の方に6月に会った。編集者の方と3人で午後何時間も話した。”

追悼文

柿内
瀧本さんの後押しで本を出してる人って、
じつはすごく多いらしいです。
古賀
そうなんだ。
柿内
瀧本さんは人や出版社をつなぐことを、
いろいろやっていた気がします。
別につないだからって、
瀧本さんに直接的なリターンはないのに

上記

今回のこの記事で始めて知った。そうだったんだ。

そして未だに本は出せてはいないが、僕がnoteで自分なりの考察を書き出したのは彼のおかげだ。

瀧本さんと僕の共通する問題認識は、この苛烈でリアルな資本主義の中で、(特にこれからの世代は)どう生き抜いていくか、これからの日本をどうするかだった。

ちょうど一年前、瀧本さんと編集者の人に自分が考えていること色々話した。

"彼は普段より口数少なく考えごとをしているようだったが、時々的確にコメントした。それを聞くうちに僕の中に、やっぱりこのテーマは彼が書いた方が良いのでは、と思う気持ちが募り、彼にそう伝えた。
彼は、少し笑ってそれには答えず黙って腰掛けていた。"

追悼文

キーワードは「ポスト資本主義」ではなく「ネクスト資本主義」資本主義を否定しても何も生まれない。次の資本主義を理解し具体化し、それを実践していくことだ。

「そうだ、このテーマは瀧本さんが書けばいいじゃないか」そう伝えた時の彼の不思議な笑顔と沈黙を今でもはっきり覚えている。

ちなみに、彼は「この本/講義*」でも彼は何度も触れているが、お金のためには本を書いているわけではないとはっきり言っている。

(本を書く理由として)「一番の理由は、日本への危機感です。この国は、構造的に衰退に向かってるんじゃないかと。みなさんも感じているかと思いますが、中央政府とかエスタブリッシュメントと言われてる人たちが、あんまり機能してないんじゃないか。

2020年6月30日にまたここで会おう

底流にあるのは日本への強い危機感、特に古い世代への諦めと若い世代への期待だ

*講義は2012.6.20、リーマンショック、東日本大震災等の続いた民主党政権末期

出会い (1996年、千代田区三番町)

瀧本さんとの出会いは、彼がマッキンゼーに入社する時の入社面接だった。

”分室がまだ三番町にあった時だった。彼は颯爽と入社面接に現れた。今何をやっているか、と聞くと東大の研究科助手だと胸を張って答えた。
東大の助手を知らない僕がどういう仕事か図りかねていると、見透かしたように「東大法学部ではですねー、一番優秀なのが助手に採用されて、普通の成績が官僚になって、どうしようもないバカが弁護士になるんです」と丁寧に解説してくれた。「頭の良いという人はたくさんいますが、本当の意味で頭の良い人はそんなにいないんです。頭の良さには5つの定義での良さがありますが、今から私がその5つの定義のそれぞれにおいて、いかに頭が良いか証明してみせましょう」とも。”

追悼文

かなりたってから彼が東大法学部を首席で卒業し、院生を跳び越えて東大に採用されていたことの意味を知る

”趣味の話か何かから、グレングールドのピアノがいかに天才的か、という話題に移った。同席の先輩もグールド好きで二人でしばらく盛り上がってた。僕は、刺すような眼光と明晰な語口は印象に残ったものの、その全能感に満ちた不遜な態度はコンサルタントには向かないだろう、と判断して質問をやめていた。面接が終わると、彼は立ち寄った研究室での雑談を十分楽しんだとでもいうように、おもむろに席を立ち「いやー、楽しかった」と言って堂々と帰っていった。扉が閉まり、「彼は...ど、どうですかね?」...と先輩の方を見ると、先輩は立ち去ったドアを見ながら、「天才だ、本当の天才だよ、彼には全てがみえてるんだよ。」と目をキラキラさせていた。”

追悼文

”翌年、彼は入社してきた。
ブースが同じで、良く雑談をした。というか、彼が僕に質問をし、それに答え、それにダメ出しを受けるというのが毎回のパターンだった。
「貯金とかどうしてます?」と聞かれ「あ、普通口座に貯まってるだけかも」と答えると「ダメですねぇ、卵を1つのバスケットに入れておいておくようなもんですよ、そもそも分散投資というのはですね、、」とか。彼よりは、3つか4つ先輩なのだが、毎回ダメ出しされて新しい事を教えてもらってた。偉そうな物言いなのに、余りに的確なアドバイスでしかも役に立つので何も言えない。
いつも最後に「タッキー、マジかー」っていうと「安川さん、もっと勉強しなきゃダメですよ」といつも嬉しそうにドヤ顔してきた。”

追悼文

全能感(心理学用語で、「自分が何でもできる」という感覚を意味する語)という言葉を感じさせる人は少なくなったが、彼は当時既にその数少ない人物だった

学ぶことの意味とは


月日は流れ、僕も僕なりに忙しく、お互いに会わない数年が続いた。僕は、大きな会社をやめて、ベンチャー企業に飛び込んだものの、個人的にはまさに、瀧本哲史のいう「3勝97敗」の97敗が続いていた時期だった。

”月日が流れ数年前、彼はベストセラーを書く著名な作家兼投資家になっており、一方僕は、とりあえず個人会社を作ったものの暇してた。彼がAI時代の生き方を語るセミナーをやるというので応募してみた。自分自身でもどう生きていったら良いか、久しぶりに彼の話を聞きたかった。既に満席だったが、どうしても聞きたかったので連絡取ってみたら、主催者枠僕が取っておくので来てください、と気を利かせてくれた。当日、彼からみると存在しないに等しい1人のオーディエンスのつもりで聞いてたが僕の方をチラチラみたり、「今日は大先輩が聞きにきているので話しにくい」と僕をいじったり、尊大な彼にしては意外な反応を見せた。”
”アフターパーティーで、「そりゃ話しにくいですよー、色々知っている安川さんの前では」と言ってもらい小さな自尊心が当時久しぶりに癒されたのを記憶している。そこで彼に頼まれて、彼の大学のゼミで授業をさせてもらう事になった。”

追悼文

東大の瀧本ゼミで、テクノロジートレンドや、金融やITプラットフォーマーが出てくる中での資本主義の変化やSNS時代の民主主義の変容などを大きな流れの構造と文脈を捉えるという話を行った。

今、改めてこの本を読んだ上で、こんな伝説の講義の先生の授業の講師を良く引き受けたものだと思う。案の定、

”資本主義の行方とこれからの生き方みたいな話。良く考えると彼はまさにそのテーマで本を出してる専門家だった。授業の途中で、僕の話にも「それはですねー、全然そんな事はなくてですねー」とか、後ろからバンバン撃ってくる。”

追悼文

というカオスな展開。

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でも、僕も彼も、伝えたかった最大のテーマは、武器、道具としての知識と教養だった。「世界は潮目を迎えている、世界の知識人は、現在も過去もちゃんと答えを研究模索し考察してくれている。ビジネスマン/また社会に出る学生はもっと武器としての教養を学ぶべきだ」と。


「学問や学びというのは、答えを知ることではけっしてなくて、先人たちの思考や研究を通して、『新しい視点』を手に入れることです。」
「蘊蓄や知識をひけらかすために教養があるのではありません。自分自身を拠りどころとするためにも、真に『学ぶ』必要があるんですよ。」

2020年6月30日にまたここで会おう

「だから「瀧本先生、僕に進むべき道を教えてください」じゃないんです。ぜんぜん違うんです。君が自分の仮説を出して、それを試してみるしかないんですよ。とにかく自分が正しいと思うことを試してみて、自分のまわりに正しそうなことをやってる人がいたら、それに合意したり、支援する。」

2020年6月30日にまたここで会おう

2020年6月30日にまたここで会おう教育者としての印象が強いが、今思うと彼自身も、本当の資本主義の元、常に勉強し、思考し、実践行動していたのだと思う。

存在で勝負する


彼は毎回ゼミ後、ゼミ生をカレーを食べに連れて行って奢ってあげていた。そこで、「オレの話、、、面白かったかな...」と聞くと「安川さんの話が面白いというより、安川さんみたいな人が実在するというのが面白いんですよ、学生には」と馬鹿にされてるのか褒められたのか、わからない感じでいつものドヤ顔で笑ってた。

追悼文

今思い返すと、本の中のこういう事を言ってたんだと思う。

「『盗まれないもの』というのは、どういうものがあるんでしょうか?」「それはね、その人の人生ですよ。・・・ その人が過去に生きてきた人生とか、挫折とか、成功とか、そういうものは盗めないんですよね。」

2020年6月30日にまたここで会おう P178-9

1時間やそこらの話が学生に受けたかとか、どうでも良い、学生からみて「存在」として面白いかどうか。数百円で買って数時間で読める本ではなく、生き様そのもの、存在そのものが面白いかどうか

アカデミックバックグラウンドの経歴があって、それなりに法学に詳しくて、一方でリスクの高いベンチャービジネスにも投資しているという、
わけのわからないキャリアを経ているから、京都大学の今のセクションからお声がかかったんです。(中略)任期付きとはいえフルタイムで准教授で入れた、しかも学士しか持っていないって、ふつうはあり得ないですよ?

2020年6月30日にまたここで会おう

残されたHOMEWORK #瀧本宿題

心を揺さぶられる不思議な読書体験だ。

彼を若い頃から、頭の良さはもとより、実は情に厚い性格、それを表に出さない含羞や独特の照れ隠しのシニシズム(皮肉)まで彼の人柄をよく知り、直接講義も聞いた事がある身としては、彼の話し方、人の指差し方、息遣い、質問を聞いた時の表情までもが浮かぶ。文字を追っているのにオーディオブックを聞いているような、声また鮮やかな映像が浮かぶ。

そしてそれほどのリアリティで迫ってくるのに本人は、その彼は、

もうこの世にいないことを悲しんでいる。

「いくらカリスマが生まれても、世の中あんまり変わらないんですよね。・・・ 特定のリーダーをぶち上げて、その人が世の中を変えるという「カリスマモデル」は、どうもうまくいかないんじゃないか、という問題意識が大前提としてあります。」

2020年6月30日にまたここで会おう P9-10

カリスマによる社会変革を否定しつつ、彼自身のあふれる才能や発する刃(ヤイバ)のような言葉が、カリスマティックだった。

だから僕はとりあえず2020年までは日本にチップを張ってみますが、
もしダメなら脱出ボタンを押して「みなさん、さようなら〜。これだけ頑張ったのにダメなら、もうしょうがないよね〜」と判断して

2020年6月30日にまたここで会おう P192

そして日本どころか、この世からもいなくなってしまった。
カリスマとして僕らに「残されたものへの宿題」というぶっとい釘を刺したまま

「8年後の今日、2020年6月30日の火曜日にまたここに再び集まって、みんなで「宿題」の答え合わせをしたいんですよ。(会場どよめき)・・・・・・どうでしょうか?」

2020年6月30日にまたここで会おう P193-4、197

今日2020.6.30が答え合わせの日だ。

「2020年の6月30日までに、やはり何かやりましょう。僕もそれまでに何かやりますので、みんなで答え合わせしましょう」宿題とは、「自分自身がいる場所で、ちょっとだけでも変える」こと。

2020年6月30日にまたここで会おう

2012.6.30の講義を聞いた29歳以下の社会人/学生の300人の人たち。

今日という日をどういう場所でどういう気持で迎えているのだろう。

HOMEWORKは済んだのか?

社会は良い方向に向かっているとは思えない。日本経済は低迷しており、政治は世界中で格差と分断が起きており、環境問題はより深刻でコロナ禍が世界中を襲い、人々は疲弊している。

ただ、自分自身がいる場所で、ちょっとだけ変えてみる。行動してみる。

船員としてではなく、自分の船の船長として良き世の中への航海の旅に出る。

そういう人は確実に増えている。

僕自身も実践し、そういう人の支援を続けているつもりだ。

ただ、僕はまだ本に着手できてない。瀧本さんは、亡くなって尚、さらに自分は本を出し、ダメな先輩にプレッシャーを書けてくる。(おいおい)

「だから早くやんなきゃって言ってたじゃないですか」
会う度、彼は僕に武器も勇気も与えてくれた。なのに僕はまだ戦場に立ててない。いつかきちんと報告します。
それまで安らかにおやすみください。

追悼文

今年から毎年6/30は僕にとって彼との「答え合わせの日」

Bon Voyage (良き航海を)

タッキー




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