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コロナ禍、緊急事態宣言延長へ〜救える命を救えない社会に日常は戻ってこない〜

1. 緊急事態宣言の延長の見通し〜やっぱりね、そんな甘くないよね〜

緊急事態宣言が延長される見通しです。

緊急事態宣言がいよいよ発出されるというタイミングで前回のnote

新型コロナウイルスについて⑨:いよいよ本日深夜「緊急事態宣言」発出 〜日本独自のお家芸「じ・し・ゅ・く JISHUKU!」で国を救おう〜

を書きました。

もし、この法的強制力のない、国民への自粛の依頼だけで、市民の私権も経済活動の制限も脅かされずに感染爆発が押さえられ、医療崩壊を起こさずに
死者を200人程度に押さえて収束を迎えることができれば、奇跡の国民として、世界中の称賛を受けると思います。そしてその賭けは、国民に委ねられることになったのです。
今日、夕刻、総理から非常事態宣言は出されます。
全員拝聴しましょう。そして、法的強制力がなくても、私権がほとんど制限されることなくとも、国家が「要請」する「自粛」を粛々と実行し、コロナウイルスを封じ込められた奇跡の国とその国民として、数ヶ月後世界から称賛され、普段どおりの日常に戻れることを祈りましょう。


1ヶ月、社会活動を自粛すれば沈静化し元の社会に戻せるだろうという見通し(祈り)は、厳しいロックダウンを先行して行いながら解除のタイミングが見いだせない海外の状況をみても甘すぎた見通しで、大方の方は、延長を想定の範囲として受け止めたと思います。

2. 新たにみえてきた「死の数」だけではなくて「死の質」の問題


3月末から有名人に罹患者が出始め、残念ながらお亡くなりになる方々も出てきました。私の周囲にも、直接の知り合いや友人の知り合い等、感染経験者が出始め、話を聞くことができました。

皆さんが異口同音にいうのは

「新型コロナは、インフルエンザのキツい程度のような生易しいものではない。本当に死を覚悟した。」


特に、熱が下がらず肺炎の一歩手前あたりが辛いようです。

新型コロナウイルスの怖さ(いやらしさ)とは

①感染力はインフルエンザ同等だが、大人数に感染させるスーパースプレッダーが存在する

1名の無症状の患者が、クラスターを突然発生させる事を意味し、地域医療に負担がかかる。また医療機関でクラスター発生した場合は、医療従事者が待機状態になるなど一気に地域の医療崩壊を招くということです。

②時折、年齢を問わず重篤化し、死に至らしめる

「せきがひどくて眠れない。胸が痛い」「薬局に薬を届けてもらった」。十日夜、妻にラインで状況を伝えた後、応答がなくなった。翌十一日、寮で暮らす同僚が部屋に様子を見に行くと、既に息絶えていた
「道で人が倒れている」(中略)男性は倒れる直前、自宅から歩いて数分のコンビニ店で買い物をしていた。店の関係者によると、ふらついた様子で入店し、お茶と食べ物を買って店を出る様子が防犯カメラに写っていた。会計時にはカウンターに寄り掛かり、うずくまるような体勢のまま、ゆっくりお金を支払った。しかし、店員に胸の苦しみや体調不良を訴えることはなかったという。

遺族にとっては、この間まで元気だった人が突然亡くなり、見舞いやお別れも叶わず、遺骨となって帰ってくるということです。(そしてその多くの死亡理由が、その人の職場や知人でありうるということ)

医療関係者にとっては、自宅>保健所検査>自宅待機>ホテル隔離>病院病室>ICUの切れ目ない緊密な連携を要求される、ということです。

また、医療リソースが逼迫してくると、コロナ感染者以外の患者の通常手術が受けられない、救急搬送ができない状況が生まれてくるということです。

これらの新型コロナウイルスがもたらすことがみえてきた「死の質」の問題に、私達の社会は本当に耐えられるのかという事です。

3. タカ派政治家すらも変化 

橋下徹元大阪府知事は山中教授との対談で

検査数の実施次第で、増減する感染者数に一喜一憂するのではなく
死亡者数を抑えて社会活動を復活させる戦略を説明していました。

「今は感染者数に注目しすぎているため、社会活動の抑制がかなり強いです。ここを『死亡者数を抑えればいい』という発想に転換し、医療体制の整備に注力すれば、社会活動を徐々に通常運転に戻すことが可能になります。そこでまた死亡者数が増えてきたら、再度社会活動を抑えればいい。(橋下徹氏)

山中教授はその橋下徹元大阪府知事の説明と質問にこう答えています.

「季節性インフルエンザが原因で亡くなる方は、もともと他の病気で入院されていた方が、インフルエンザをきっかけに細菌性肺炎を併発するなどして亡くなる事例が多いです。この場合、病気の進行が比較的緩やかで延命措置が必要な患者が集中する事態にはならず、人工呼吸器が足りなくなることはほぼありません。
ところが新型コロナウイルスは、普通に元気だった人が一気に肺炎になり重症化する恐れがあります。そうなると人工呼吸器が足りなくなり、どの患者を生かすかの選択を迫られる事態も生じます。私自身は元気で季節性インフルエンザになっても死ぬリスクはまず無いと思っています。ところが新型コロナだと数%の死のリスクが生じる。20 代、30代でも感染すると500人に1人は亡くなると報告されています。50回とか500回に1回の確率で死亡事故を起こす乗り物だったら、怖くて乗れないですよね」

この回答に、橋下氏は考えを改めたようです。

また小池知事も、親しい支援者の死に立ち会い決意を新たにしたとか。


また、英国のジョンソン首相は、当初は多くの犠牲を払ってでも最終的に集団免疫を獲得することによる収束を目指し記者会見を行い、

多くの家庭で本来の死期よりも早く愛する人々を失うことになるだろう
(many more families are going to lose loved ones before their time.)

とまで言い切っていました。

この演説の10日後、自身がコロナに感染が判明し重篤化、3日間のICUの後に奇跡の復帰を遂げた首相は、看病してくれた医療従事者に感謝し、「社会というものはある*」と発言し経済よりも社会福祉重視のロックダウンの継続に主張を変化させています。

(*これは、There is not such thing as society というサッチャー首相の「社会などなく、個人しかない」というサッチャリズムの発言をもじった表現)


「変節した政治家を信用できるか」という論点はさておき、
これまでタカ派だった政治家が、新型コロナによる「死の性質」を理解し認識を改め福祉重視に路線変更してきている事は事実だと思います。

4.救える命を救えない社会のまま私達は日常に戻ることはできない

これまでは、単に、日本においては死者は顔の見えない数でした。
「死者の数」としては、これまでの日本の実績は決して悪くありません。

▼ベルギー 死亡者5683人(人口10万人あたり49.75人)
▼スペイン 死亡者2万453人(人口10万人あたり43.77人)
▼イタリア 死亡者2万3660人(人口10万人あたり39.15人)
▼フランス 死亡者1万9744人(人口10万人あたり29.47人)
▼イギリス 死亡者1万6095人(人口10万人あたり24.21人)
▼アメリカ 死亡者4万661人(人口10万人あたり12.43人)
▼日本   死亡者236人(人口10万人あたり0.19人)

記事にあるように、死者数やその死因を現場において数倍間違える、ごまかす事は不可能です

但し、新型コロナウイルスによる「死者の数」がどんなに少なくても「死の性質」についての理解が国民に広がり医療崩壊のリスクが続く限り、
経済活動の正常化の出口戦略はみえてこない
と思います。

山中先生の言うように、1/50, 1/500で死亡事故を起こす乗り物に私は乗りたくはありません。また、自分の大切な人、人生において縁のあった方を、その様な乗り物に乗せたくはありません。 

「あなたは、100回に一度死亡事故を起こす乗り物に乗って、会社に行きますか? GWに旅に出ますか? パチンコに行きますか? ナイトクラブに行きますか?」

この質問にNOなら、一旦は強い経済規制をかけてでも、医療現場が正常化するまで感染の徹底した封じ込めを優先的に行わないと抜本的な解決は難しい気がします。

助かる命を助けられない社会のまま私達は日常に戻ることはできない、日本人はそこまで強くないのです。

明日は、続けて、こうした状況を踏まえて見えてきた世界が実践する4つの選択肢と日本の国際的孤立のリスクについて書きたいと思います。


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