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慢性疼痛をもつ家族と暮らして 4

(3からの続き)母が「脊髄硬膜損傷後の慢性疼痛」に苦しむようになって15年ほど。その間に知ったこと、考えたことなどを整理してみる。

●自分なりに分析したこと

<痛いといいながらも動けるとき>
・法事
・お墓参り
・役所や銀行など、しなければいけない手続き
・毎日の必要最低限の家事
・かかりつけ医への受診、健康診断
・受診後の2,3日
・生協の荷物の受け取り
⇒「したいこと」というより「しなくてはならない」ことをする。これはそうやって人生の大半を過ごしてきたし、そもそも帳面な性格だからかも。ある程度の「しごと」があることはハリになるのだろう
⇒ちょっと体を動かすと、その勢いで動ける(でも動いた反動でのちに強い痛みがくる)

<痛くて動けなくなるとき>
・友人と前もって約束しているとき
・デパートなど華やかなところ
・リハビリの日が近づいてくる
⇒先のことを考えると緊張して心身がこわばる。予期不安というものか
⇒法事はいいが結婚式はつらい。自分がうまくいっていないとき、元気で明るいところに行くとブルーになるって気持ちはわかる

<痛みがあって伏せていたのに大丈夫になるとき>
・長女の突然の訪問
・ケアマネさんや税理士などの訪問
⇒自分に気持ちと時間を使ってくれる人に心がほぐれる
⇒用事があれば動けるものだ

<どうして痛くなるのだろう>
・実際の症状
・痛みをさらに増幅させる心の在り方(不安や思い込み)
・痛みをさらに増幅させる生活のしかた(痛みがあるから動くことを控える)
・周囲の無理解、孤独感
⇒ネットや本などで傷みをもつ方の話を見聞きすると、症状をやや軽くできるのは、趣味や仕事、ライフワークをもっている人。痛みを治すことだけを目的としない人。痛みがなくなったらあれをやってみよう、ちゃんと歩けるようになったら外出しよう、と自制するのはあまりいい結果をもたらさない。

<家族のかまえ>
・「気のせい」「気をそらそう」的なことを言わない
・痛みは気のもちようで増幅するんだよとか、理路整然と説明しない。身もふたもないので
・ただただ痛い気持ちに同調する
・痛いのに生活していることをねぎらう

<家族はなにがつらいのか>
 母の場合は、痛みがはじまった初期のころこそ家事援助や外出補助が必要だったが、痛みのある生活が日常になってからは外出やお使いごとのお手伝いくらいにとどまっている(が、加齢がすすんでいるので、次の段階へすすみつつある)。援助の実働という意味ではあまり負担はなかったと思う。
 体を動かしてなにかできると、病気の家族に対して一定の責任を果たせていると自責の念から逃れられ、安心感のようなものが得られるため、じつは嫌ではない。むしろ、どうすれば気持ちの支えになれるのか、という点に難しさをいつも感じてきた。痛みの訴えをよく聞くこと、悲観的な身の上話にちょっとでも希望を見いだせないか探ること、リハビリなどに行けるようはげますこと、行けなくて落ち込むのを自分を責めないようにとなだめること、などなど。毎日、一定の時間は母の話を聞くようにしているが、十分とはいえない。

<娘である自分のことも>

 私は、数年前、しごとがきっかけで心身不調になり精神科に通った。カウンセリングでの話題は、入り口はしごとのことだったが、そのうち母の痛みもテーマとなり、しかもわりと掘り下げることになった。自覚をしていなかったのだけど、じつはすごく負担に感じていたし、私の人生のひとつの、しかも大きな課題となっているのだとわかった。

・ちょっとでもよくなるように働きかけるのにさっぱりよくならなくてつらい。
・母の調子が悪いとき、痛みが強いときは、自分の関わり方がよくないのではないか、もっと何かできることがあるのにしていないのではないかと思ってしまう。
・自分が忙しかったり体調が悪かったりすると、母の話にイライラして話が聞けなくなる。いじわるなことをいう。そんな自分に罪悪感をもつ。
・もっと好きなことをして気をそらしたら? 痛みを増幅させているのは痛みにこだわっているあなた自身ではないのか? もっと自由に生きればいいじゃん? と母の人生や人格を否定したくなる。
・もっと私は痛みを共有できるのでは? 人より冷淡なのではないか? 
 といったことだ。

 書いていても思うが、たしかに不十分なところはあるものの、自分のこと責めすぎ。実態はどうあれ引き受けすぎ。

 カウンセリングを受けて思い至ったのは、「自分がどう関わろうと変わらないものは変わらない」「そもそも自分にはそれほどの力はない」「人は人」「残酷だけど、同じ痛みは負えない」「子どもを含め、ほかの家族にも自分ごとにしてもらおう」というようなこと。
 母を忘れる時間をもつ、たいへんだと周囲の人にこぼす、そもそも自分の心身を健やかにたもつ、調子の悪いときはあえて会わない、自分ができないことはほかの人にまかせる。あとは、冷酷なことかもしれないが、結局、本人になり替わることはできないと知ることだ。
 いまでもやるせなさに襲われることは少なくない。でも、そんなふうにクヨクヨ思うのは当然のことだと、開き直れるようになった。だって正直なところ、近くに病気の人がいて、いっしょにやっていくのは、本当にエネルギーを使うことだからだ。

(5に続く)

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