雪だるま

 大学1年生の12月初旬、昼頃に目が覚めると、札幌は雪が積もっていた。窓を開けると、地面は滑らかな白い雪で覆われている。私は春に東京から札幌に引っ越してきたばかりで、東京では雪が降るとしても2月とか、1月だったから、12月初旬の積雪は初めての経験だった。

「ねぇ!めっちゃ雪積もってるよ!すごくない!!」

気づくと、私は彼女に電話をかけ、興奮気味に話していた。 

「ね!めっちゃ真っ白!」

電話越しに溌剌(はつらつ)な声が返ってきた。彼女も相当興奮しているようだった。彼女の出身は山梨県で、彼女も私と同じく12月の雪は初めてのようだった。
「てか、やばい!そろそろ、私講義だし、家出るわ。今日5限終わりでしょ?一緒に帰ろうねん〜」
そう言うと、ドタバタと彼女は電話を切った。



 彼女は茶髪のポニーテールで、顔立ちは素朴といった感じだが、可愛い方であるのは間違いなく、表情がいつも明るい人だった。
 5限の授業が終わり、正面玄関で私は彼女を待っていた。5限が終わって帰宅する学生がゾロゾロと外へ出ていく中、厚手の黒いダウンに灰色のマフラーをした彼女がこちらに手を振りながらやってきた。

「ごめん〜待った?ちょっと質問があったから先生に聞いてて。」

「いや、そんな待ってないよ。俺もさっき来たばっかだし。」

正面玄関から、外へ出ると、お昼より一層雪が積もっているようだった。18時の薄暗い帰り道を辿っていく。

「こんな早い時期に積もるとは思わなかったね〜」

彼女が言う。

「ね。東京とか山梨じゃ考えれないよな。」

「ねぇ、あの公園で雪だるま作らない?」

「え?」

「作ろうよ!」

「まぁいいけど」

カッコつけて、「まぁいいけど」と言ってしまったが、内心、結構作りたかった。私たちは積もった雪を手で集め始めた。彼女も私も、本当は人の背丈くらいの雪だるまを作る予定だったのだが、道ゆく人に、変な目で見られるのが恥ずかしくて、30センチほどの小さな雪だるまを作ることにした。枝で腕と口を作って、木の実で片目をつけた。あともう一ついい感じの木の実が見つかれば、両目が揃い、完成だった。

「いい感じの木の実、全然ないな」

「そうだねー…あ、あった!」

彼女はいきなり走り出した。

「あっ…」

雪道で、急に走り出したり、歩き出したりすると、大体足を滑らせてこけてしまう。彼女も案の定、雪で足を滑らせたのだった。隣にいた私が、危ないと思い、手を差し出すと、彼女は私の手を掴んだ。

「大丈…」

そう言いかけた瞬間、私も彼女も大きな尻餅をついていた。私も私で彼女が急に手を引っ張るので、そのまま足を滑らせてしまったのだ。ペタンと雪の上にお尻をつけたまま、私たちは、お互いに目を見合わせた。そして、2,3秒経つと、なんだかおかしくなって、2人で大笑いしていた。

「2人して何してんだか笑」

彼女は言った。

「それな笑、誰も見てなかったよね?笑」

「まぁ、多分、大丈夫じゃない?笑笑」

「怪我してない?」

「大丈夫そ、あんたこそ大丈夫?」

「俺はヘーキだよ」

「ならよかった。」

ひとしきり笑ったあと、雪の上に座ったまま、彼女が言った。

「ほんとに、北海道来てから楽しいことしかないなー。雪遊びもできるし。海鮮も美味いし。一人暮らしは自由だし。そしてなにより、初めての彼氏もできたし。何もかもが新鮮で楽しいな。」

「そうだなー。俺も初めての彼女ができたし、サイコーだな。」

「やめろやい」

彼女はそう言いながら、肘で私をつつくと、ニヤニヤしていた。

「でも、そういえば、雪で楽しめるのは今のうちだけだよって、先輩言ってたな。だんだん慣れてくると、こんな感じで滑るし、歩きにくいし、自転車に乗れないから、嫌気がさしてくるって」

「まぁ、そうなるんだろうねー。実際、こんなにはしゃいでるの、私たちみたいな、今年の春に来た道外出身者だけだし。でも、雪だるま作ったり、一緒に滑って転んだりとかするだけでもこんなに楽しいのにね〜笑」

「毎回滑ってたら嫌気が差しそうだけどね。でもさ、なんか、ずっと楽しめるような気もするよな。」

「それな〜」

雪がちらほらと降りはじめ、街灯に照らされた雪の綿毛は埃のようにキラキラと舞っていた。

「雪も降り始めたし、雪だるまの目玉つけたら、そろそろ帰るか。」

私がそういうと、彼女は、そそくさと起き上がり、雪だるまの片目に木の実をギュッと押し付け、雪だるまを開眼した。

「完成!」

「変な雪だるまだな笑」

「そう言うこと言わない!不恰好なほうが雪だるまは可愛いでしょうが!」

「まぁ、そーだね笑」

私も起き上がり、足やお尻についた雪を払った。

「ずっとこんな感じで過ごしたいね。」

公園を出ると、私たちは、指を絡めて手を繋ぎ、真っ白の雪景色に足跡をつけていったのだった。

 そんなちょうど2年前の話を思い出しながら、私は彼女に呼び出され、喫茶店へ向かっていた。私は大学3年生になった。大学1年生の付き合いたての頃に比べて、彼女と会う回数も減っていった。というか、ここ1ヶ月くらい、彼女とはもう会っていなかった。別に、仲が悪いと言うわけでもない。ただ、慣れてしまったのだ。今回の呼び出しも、あらかた想像はできていた。しかし、私はもうそこまで、悲しくもなかった。そう言うものだから。そんなことを考えていると、私は店の前に着いていた。店内に入ると、隅の方のテーブルですでに彼女は座っていた。彼女は私を見つけると、手を振った。私が席のそば方へよると彼女は言った。

「やぁ、久しぶりだね〜、1ヶ月ぶりくらいだよね」

「そうだね。」

私はダウンを脱いで彼女の向かいの席に座った。

「注文どうする?私はもうコーヒー頼んじゃった」

「どうしよっかな。んー俺もコーヒーでいいかな」

注文のベルを押し、私はアメリカンコーヒーを頼んだ。

「てかさ、ちょうど2年前の今の時期らへんに雪だるま作ったよね。覚えてる?」

「あぁ、作ったね笑。2人して尻餅ついたやつ。」

「そうそう。」

そして、雪だるまの話をきっかけに、お互い、過去の思い出を振り返って、盛り上がっていった。旅行に行ったこと。彼女と海にいったとき、彼女がクラゲに刺されて死にかけたこと。私が彼女の家で料理をつくっていたら、火災報知器が作動して、大騒ぎになったこと。いろんな思い出があった。彼女がポツリと呟く。

「この時が一番楽しかったかもね…」

「そうかもね」

少しの沈黙が生まれたあと、彼女は言いにくそうに、私に言った。

「あのさ、」

「うん」

「私たちさ…」

「うん」

「別れよう。」

「…。まぁ、そうだよな。」

「私さ、別に君のこと嫌いじゃないし、むしろ、一緒にいて居心地もいいとは思うんだよ。でも、なんか慣れちゃったんだよね。気持ちが冷めちゃったっていうか。多分、このまま付き合うのって、お互い良くないと思う。」

別に、別れることになっても、あまり悲しくないと思っていたのだが、実際に言葉を聞くと、なぜか悲しいような、体が冷えるような感覚があった。

「俺もさ、ちょうど同じこと思ってたんだよね。やっぱり、お互い別れたほうがいいって思うなら、別れるしかないよな…。」

「うん…」

「今まで楽しかったよ」

静かに私は言った。

「私も色々楽しかったよ。まぁ、また機会があったら友達としてどっか遊びいったりとかはしようよ。」

「そうだな。まぁ、別れたって、別に、仲が悪くなるってわけじゃないし。」

再び沈黙が流れ、気まずい時間だった。彼女と目を合わせるのが気まずかったから、コーヒーを見つめていると、彼女は言った。

「あーごめん。私そろそろ、バイトの時間だ。」

「あーまじか。じゃあ、俺もそろそろ帰ろうかな」

コーヒーをグイッと飲み干すと、2人は席を立ち、会計を済ませて、外に出る。外は雪が積もり始め、肌の露出した部分が特に寒かった。彼女は白い息を吐きながら、私にわざとハキハキした声で言った。

「元気で!」

「おう!そっちもね!」

私は彼女を見送りながら、彼女の背中がだんだんと小さくなるのを見ていた。彼女が見えなくなると、私も家に帰ることにした。2年前のように、ちらほらと雪が降りてくる。滑らないように注意しながら歩いていると、私は、歩道の脇に30センチほどの雪だるまを見つけた。子供が作ったのか、それとも…。私は思わず呟いた。

「雪だるまか、もう別に作ろうとは思わないよな…」

そんなことを考えながら、よそ見をして歩いていると、急に世界が裏返った。いや、裏返ったのは自分の方だった。足元の凍りに気づかなかったのだ。私は大きな尻餅をついた。

「いってぇな、クソ。」

雪道なんて歩きにくくて最悪だ、と言いかけた途端、私は、胸が詰まる思いがした。私はこのとき、もう2度と、2年前のあの日が戻ってこないことを実感したのだった。さっきの雪だるまを不意に見る。木の実でできた目に、枝でできた、口と腕。不恰好な雪だるまだった。これを作った人は、きっと、まだまだ幸せな人だ。

「もう、慣れちゃったんだな。」

私は気づくと泣いていた。

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