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HIPHOPをやり続けることと、仏教に浸ることは似てる?の続編です。


みなさん火曜日もいかがお過ごしでしょうか?
日本列島はスーパー残暑ですね。

くたばらんように生きて行きましょう!

では、昨晩の続編で完結です!
少しお付き合い願いたし。

3. 自己探求としてのHIPHOP:仏教の教えと融合する方法

概要:HIPHOPと仏教が自己探求の道具としてどのように機能するかについて掘り下げていきます。

HIPHOPの表現を通じて自己の内面を探求し、
仏教の教えと調和させる方法を探ります。どんなんかな〜。

HIPHOPを通じて、自己の本質や内なる声に耳を傾け、
仏教の教えに基づく自己探求の手法とどのように融合するかを考察します。これもまたどうなんでしょね〜。

行きま〜す!


展開:

1. ラップやリリックを書くことが自己探求のプロセスとなる

HIPHOPのラップやリリックの創作は、
単なる音楽的表現にとどまらず、
自己探求のための強力なツールです。確かに!

ラッパーが自身の経験、
感情、考えを言葉にする過程は、
深い自己認識を促進します。

リリックを書くことは、
自分の内面を鏡のように映し出し、
自らの感情、矛盾、葛藤を直視することを強要する作業です。

このプロセスは、仏教の教えにおける「内観」や「自己を知る」という教えと密接に関連しています。う〜ん。すごいですね〜。

例えば、タリブ・クウェリ(Talib Kweli)やコモン(Common)といったラッパーたちは、
しばしばリリックの中で自己のアイデンティティや精神的な問題に直面し、それを探求しています。

彼らは、
ラップを通じて「自分は何者か?」「自分の人生の意味は何か?」といった問いを追求し続けます。

これは、仏教における瞑想やマインドフルネスの実践と似ており、
自己の本質に深く入るための手段となり得るのです。ほ〜。なんかスピ系な流れになって来たんかな?いやちゃうな。

2. 仏教の「自己を知る」教えとの接点

仏教の教えの中には、
「自分自身を知ること」(アートマ・ヴィチャーラ)が強調されます。

これは、
エゴや感情、執着から解放され、
本当の自己を理解するプロセスです。

HIPHOPのアーティストがリリックやビートを使って表現する内面的な葛藤や希望は、
まさにこの「自己を知る」ためのツールとなります。すばらしい!

仏教では、
真の自己を理解することは悟りの道の第一歩とされています。

同様に、
HIPHOPのアーティストがリリックを書き、
パフォーマンスを行うことも、
自己の本質を深く探る行為です。

この「自己探求」のプロセスを通じて、
ラッパーは自身の人生や社会に対する見解を形成し、
表現し、それが多くの人々に共感を呼んだり、刺さるのです。

具体的な例として、
ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の『DAMN.』というアルバムを挙げることができます。来た〜!

このアルバム全体が、
彼自身の内面の探求と自己反省に満ちた作品であり、
聴衆に深い自己探求の重要性を問いかけます。

彼のリリックは、
自己認識のプロセスを通じて、
仏教的な「無我」や「空」の概念と響き合うものがあります。

まあ、個人差で色んな感覚で捉えることもできるかと思います。


3. HIPHOPを通じての自己認識と悟り

HIPHOPの表現は、
しばしば自己認識を深めるための手段となります。

リリックやビートを通じて、
アーティストたちは自分の感情や思考を探り、
それを聴衆と共有します。

これにより、彼らは自分自身と他者の理解を深めると同時に、
共感のネットワークを構築します。

仏教の実践者もまた、
内面的な洞察を通じて悟りに至る道を歩みます。

この過程で重要なのは、
自己を超えた「全体性」や「空」に気づくことであり、
それはHIPHOPのアーティストが自己を深く掘り下げた先に見つける真実と類似しています。

例えば、
MCたちはしばしば「自分を表現することで、他者の共感を得る」という目的を持ちますが、
その背後には「他者のために奉仕する」という仏教の利他精神と共鳴するものが見える時もあります。


4. HIPHOPにおける精進と仏教の修行:その共鳴する心

概要:HIPHOPの文化における「精進」(努力・自己改善)と仏教の修行の心がどのように共鳴し合うかについて考察します。

HIPHOPのアーティストたちは、
たゆまぬ努力と自己表現を通じてスキルを磨き続けますが、
それは仏教の修行僧が精神的な成長を求めて日々の修行に励む姿に重なります。

展開:

1. HIPHOPと仏教の修行における「精進」の意味

HIPHOPアーティストの世界では、
「精進」が重要なテーマとなります。

精進とは、自己の限界を超え、
常に高みを目指すための不断の努力を意味します。というか成り上がり的な感じです。

ラッパーやビートメイカー、
ダンサーたちは、技術を磨き上げるために毎日練習し、
自己改善を続けます。

この精進の姿勢は、
仏教の修行における「精進(Virya)」の教えと共鳴します。

仏教においても、修行者は精神的な成長を求めて日々精進し、
自己の内面を深めるために努力を続けます。

2. 日々の練習と修行の共通する価値観

HIPHOPと仏教には、
日々の練習や修行を大切にする共通の価値観があります。

HIPHOPアーティストが毎日ビートを刻み、
リリックを書き、ダンスを磨くのと同じように、
仏教の修行者もまた日々の瞑想や経典の学び、
規律を守る生活を重ねます。

両者ともに、
「日常の中での継続的な努力」によって自己を高めていく姿勢を持っています。

例えば、
ジャズを背景に持つ多くのヒップホップアーティストは、
アドリブの練習を通じて技術を鍛え、
自己表現の自由を探求します。

仏教の修行者が座禅を通じて精神的な自由を追求するのと同様に、
HIPHOPのアーティストたちもまた、
練習と自己表現を通じて自由を追求しています。これらは他の世界でも同様かと思います。

3. 精進による変容と成長のプロセス

HIPHOPにおいて、
精進を通じてアーティストたちは個人的な変容を遂げます。

彼らは、
失敗や挫折を乗り越えることで、
新たなスキルを習得し、自己の限界を押し広げます。

たとえば、エミネム(Eminem)は、
貧困や家庭の問題を乗り越え、
膨大な練習と努力を通じて、世界的なラッパーとしての地位を確立しました。

彼の成功の裏には、絶え間ない精進と自己改善の姿勢がありました。
また、それらを余すことなくRAPネタとしてさらけ出したことも素晴らしかった。

一方で、
仏教における修行者もまた、日々の瞑想や自己反省を通じて、
心の平穏や悟りの境地に達することを目指します。

たとえば、仏教僧のナナム(Nanam)は、
自らの瞑想と修行の過程で得た内面的な洞察を通じて、
より深い精神的な成長を遂げました。

結論: HIPHOPと仏教の両方が、
「自己の限界を超えるための精進と努力」という共通のテーマを持っています。

どちらも、継続的な努力と自己改善を通じて成長し、
変容するプロセスを大切にします。

これらの道を通じて、私たちは自己の本質に触れ、より深い理解と共感を得ることができるのです。

よってHIPHOPをやり続けることと、仏教に浸ることは似ているし
どちらも深く探究することで解像度が上がって来る。

そうすると、さらに拡散したくなって来るのがこの両者の
力であり、ムーブメントになると確信しています!

以上。お付き合いいただきまして
誠にありがとうございました!

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なまんだぶ。合掌

1LOW     釋一承
HIPHOP寺館長  ZULU NATION JAPAN

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