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秩序があり終わりあるカオス

 「カオスなものが好きなんでしょ?」という指摘をもらって、本当にカオスなものが好きなのか考えてみた。
 カオスなもの。混沌。無秩序。その言葉だけで思い浮かべるものを探ってみたがあまり思い浮かばない。カオスという括りが大きすぎるのだろうか。であれば、更に焦点を絞って考えてみる。
 カオスは日本語にすると混沌・無秩序と表される。この言葉通り、カオスは秩序が取れていない状態を指す。果たして、そういう状態が好きなのだろうか。いや、それはかったるいと思うだけでそんなに好きではない。しかしながら、好きか、という問いに対して否定をすることが出来なかった。否定が出来ないということは、なにかしら引っかかる部分があるのだろう。もう少し考えてみる。
 手元にある小説をパラパラ眺めてみる。どれもこれも面白いものばかりだ。物語は荒唐無稽でカオスなものばかりだが、なぜか秩序があるようにも思える。これはなぜ起きているのか。それはもちろん、作家たちが的を絞って書き上げた結果だろう。秩序があるカオス。相反する現象が一冊の本の中で起きている。そこに惹かれてこの本が気に入っているのではないかなと思う。
 だんだんと見えてきたのだが、僕は秩序があるカオスが好きなのだろう。狙いすまされ生成されるカオス。そのカオスには一つ特徴があり、必ず終わりが訪れることだ。ただグジャグジャに出来上がったカオスは、いつ終わりを迎えるのかがわからない。その不安感もカオスの中に含まれるのだろうが、生成されたカオスは人の手で顕現された以上必ず終わりが訪れる。今眺めている物語に終わりが訪れたように。
 理解が近づいてきた。僕は秩序があり尚且つ終わりが訪れることが約束されているカオスが好きなのだ。そんなのカオスでもなんでもない、秩序なく永遠に終わりが訪れないからこそのカオスだ。という言葉にも頷ける。これは、ただ僕が思うカオスを言語化しただけで、今あるカオスを否定するわけではない。
 最近、『シミの吸血鬼』という創作を書いた。あれは僕の思うカオスを書き出し、さらに好きである虚無を混ぜ込んだ文章になっている。たまに読み返しては、また新たなカオスを生成させたりして遊んでいる。


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