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酔の大敵、現実的解決策

 中途半端な酔は人生において大敵である。酒の酔には段階というものが設定されており、とある社団法人の資料によると、初期が爽快期、次にほろ酔い期、そして酩酊期と続き、そのまま泥酔期に突入する。最終的には昏倒期に至り荼毘に付す、という酔の九相図といった段階が表記されている。
 僕は酒を飲む時、大体は酩酊と泥酔を行ったり来たりする。此れにはきちんと理由が存在しており、酒という謂わば現実から逃げるための手段をわざわざ抑える必要なんかないと考えているからだ。現実が辛い辛いと言い逃避に走ろうとしているのに、飲み過ぎたら身体に不調をきたすよねと気にかけることが全くもって理解できない。気にすることは身体の良し悪しでは無く、現実から逃避できているかどうかだ。それが酩酊と泥酔を行ったり来たりする理由であると銘打ち今日も酒を飲む。青椒肉絲と紹興酒が今日も美味い。
 それは横に置き、問題は酒を飲みながら酩酊にすら到達できなかった時である。僕は労働に誠実なふりをし続けている不誠実な人間である。それが故に常に誠実なふりし続けようと努力している。それは勤務態度にもしっかりと表れており、「明日大事な会議があるからなぁ、変なドジを踏まないように酒を飲むのは辞めたほうが良いよなぁ」といった具合に然りと抑制に反映されている。しかしながら、そう考えていても結局酒を飲む。人生が辛く忘れたいから。
 そういった考えの中で酒を飲んでいると、頭の隅で「明日はしっかりせんといかんなぁ、しっかりするにはそろそろ酒を飲むのはよしといた良いよなぁ」とちらちらと浅ましい考えが見え隠れする。その考えがある限り、泥酔することはおろか酩酊にすら到達することが難しくなる。現実を忘れるために酒を飲んでいるのにも関わらず、頭の中ではしっかりと現実の問題が揺らいでいるというのは、酔に対する阻害行為以外の何物でもない。現実をもう少しで忘れるという時合に、現実的な問題がそうはいかんと邪魔をし現実に引き戻す。なぜ酒を飲んでいるのかわからなくなる瞬間だ。
 現実に引き戻されていると、問題の解決方法も現実的なものになる。酩酊に入ればもっと酒を飲んで現実を土星の彼方へと吹き飛ばし一瞬の快楽を得るという非現実的な方法で解決を求めるのだが、酩酊に入らない中途半端な酔はなまじ現実的があるがために、酒なんか飲んでいないでさっさと床に就いて寝ればよかろうもんといった感じでしょうむない解決策を提案してくるのである。これは睡眠以外に置いても同じことで、文章を拵えようと席に座ったのは良いもののなんにも思いつくことがない。なにか無いかと頭を抱えていると、なんにも思いつかないのであれば寝てしまえ楽になるぞと行った具合に現実的な提案してくる。この現実的な提案してくる状態こそが、宵の大敵であり、いつだって身を任せそうな快楽だと言っていい。
 その快楽の誘いを払い除けてこそ、何かが発生するのではないかと僕は信じている。今せっせと拵えている此れだって中途半端な酔いを払い除けた結果なのだが、その御蔭だろうか。自身が中途半端に酔っていることを自覚し、現実を忘れきれていないという焦燥感が芽生えてきた。ぐぉんと頭の中が揺れた感覚に襲われ、そのまま酒を飲み酩酊。明日の会議には欠席しますと、上司に連絡を入れた。

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