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地下に潜って逃げるのだ

 昨日、酒を飲んでうだっている時合にJアラートが鳴り響いた。いきなり到来する非日常に慌てつつも、今を逃してはならないと言わんばかりに残っている酒を一気に飲み干した。一気飲みなんて普段の飲酒で行うはずもなく、これも一種の非日常ではないかと思いながら酩酊。外では地下に逃げろと避難警告を流している非日常、自室では死ぬのであれば酒を残すべからずと言わんばかりに行われる一気飲みという名の非日常。断言できるのだが、昨日は沖縄本島で僕が一番に非日常を体現していた。そんな事あるか。
 Jアラートで繰り返し警告されていたのだが、建物の中に逃げるか、地下に逃げるかしろと放送されていた。その地下に逃げろという部分に対して多くの人が「どうやって地下に逃げろというのだ」と、鬼の首を討取ったかの如く喚いていた。その様子を見ながらハヘンッとひとりごち、そのまま酩酊に包まれ気を失っていった。
 地下、という言葉で連想するのは、潜るという言葉だろう。以前、酒を飲むことを酒に潜ると言葉にしていた事がある。この潜るはどこに潜っていたのだろうか。
 もちろん、潜る対象は酒だ。しかし、この酒は何なのだろうか。仮に酒を水たまり、ひいては海や湖だと仮定してみよう。世間には、酒に浸るという言葉もある。これも、酒を水たまりに置き換えた表現の一つだろう。さらには、酒を浴びるほどに飲むだとか、杯中の蛇影なんて言葉もある。これら全ても、酒を水たまりと仮定した際に成り立つ言葉である。つまり、酒を水たまりに見立てた場合に使用する酒に潜るという言葉は、海のような酒の中にドボンと飛び込み、阿呆になるほど酒を飲み腐るという表現につながるのだ。
 して、酒を地下、ひいては地面と仮定した場合はどうであろうか。そも、酒と地下との相性はよろしく無い。今持っている酒を地面にぶちまけてみたらわかるように、地下に際限なく吸い込まれていく。これでは酒に潜るどころか、酒が潜って行くようなものである。しかし、酒というのは地下からの恩恵、つまり、農作物によって生成されることを忘れてはならない。コメから酒ができ、ブドウから酒ができる。どれもこれも地下からの恩恵があってこその話であり、僕は今すぐ地面に口づけをしなければならない程の感謝を体現しなければならない。ここから考えるに、地下に見立てた場合の酒に潜るは、恩恵を受け感謝の意を表す言葉でなくてはならない。ありがとう。アーメン。南無阿弥陀仏。は?なんの話だ?
 酩酊から覚め、スマートフォンの画面を確認すると、北が打ち上げたものはどこか知らない海に落ちていったらしい。奴もどこか地下に潜っていったのだろう。

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