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沖縄県民の呪縛

 事務所では賑やかしのためラジオを垂れ流して居るのだが「沖縄県民は雨が降っても傘をさっしませーん」と、ラジオパーソナリティが絶叫していた。
 ブッ飛ばしてやろうかと思った。憤怒に任せて事務所にある貴重なラジオを破壊した後、怨嗟が篭ったメールを数百通送りつけた後、郵便局から万引きしてきた美少女キャラクターが印刷されている郵便はがきをありったけ記入し万札はたいて送りつけてやろうかと思った。電話はしない。話すことは怖いし恥ずかしいから。
 けど、そんなことはしない。なぜか。僕は雨が降れば傘を指す人間だからである。雨が降れば体が濡れたくないが為、傘を指す。あまりにも当たり前の事すぎて書くことすらも阿呆らしい。
 というか、沖縄の人間は傘を差さないといった都市伝説にはしっかりと合理的な理由がある。沖縄の気候というのは一年を通し潤湿で温かい。つまり亜熱帯気候に属している。その亜熱帯気候が織り成す天候というのは目まぐるしく変化し、天を見上げれば大きな雲が局所的に生成されている。その雲からいきなり大粒の雨が降り注ぐ事がよくある。スコール、今風に言えばゲリラ豪雨がやってくるのだ。このスコールは本当によくある。よくあることなのだが、かなり予想がし辛い。かんかんに晴れていると思った次の瞬間には豪雨になっているのだ。あまりの雨量に傘を差している暇もなければ、そもそも晴れているから傘なんて持っていない。つまり、沖縄県民はスコールというある意味、事故的とも取れる天候に遭遇する固め、傘を差さないのではなく、傘を差せないのだ。
 そんな様子を見ていた事情を知らない人間がある日、ポツリと溢したのであろう。「沖縄の人って雨でも傘差さないよね」と。それを聞いた沖縄県民はスコールのことを思い出して、確かに差していないかもしれないとスコールという偶発的な事情をすっ飛ばして、あたかも雨が降っても傘をささないのは当たり前かの如く捉えて偽のアイデンティティーを形成する。全くもって意味がわからない。
 僕はこの偽のアイデンティティー形成が本当に耐えられない程に嫌いだ。以前、一部の人が行っている奇行をさその県全体の文化かの如く紹介するテレビ番組にて「沖縄県民は飲みの締めでステーキを食べる」という奇行が紹介されていた。視聴当時は食うわけないだろうと辟易したのだが、いつしか時が流れて友人を酒を飲んでいた際「締めにステーキを食べようぜ。沖縄県民だし」とやや真面目に提案された。その時の絶望感ったらもの凄いであった。奇行がいつの間にか偽のアイデンティティーとして形成されていたからだ。奇行がアイデンティティとして形成された悔しさと、飲んだ後にステーキを食べたるという嫌さが入り混じって複雑な感情になりこの場で暴れてやろうかと思った。そして、実際に暴れた。あまりの暴れっぷりにその店は出禁になったし、友人との関係も切れてしまった。ケンミンショー、絶対に赦すまじ。
 当時を思い出して読み取れることは、沖縄県民はサービス精神が過剰名では無いかということだ。「沖縄県民って〇〇するよね」という言葉に非常に弱いと思う。〇〇なんかするはずがないと頭の中では理解していても、相手を喜ばせたい気持ちが先走り「あー、するかもしんないっすね」と、曖昧な肯定を行う。そんなことするはずが無いのにも関わらず、相手の期待に答えたいが為自身の気持ちを抑えて行為に耽る。し続ける。その結果、真意不明な偽のアイデンティティーとして形成され、県民性として消費される。これが本当に耐えられない。こんなものは呪縛でしかない。
 と、ここまで書いていたところで飲んだ後の締めにステーキを食べることを想像してみる。酒で狂った脳はステーキを許容するだろうか。多分する。するだろうし、なんなら喜んでいると思う。しかし、帰った後で便所に全て還すことになるだろうなという想像が容易にできる為、やっぱり全然好きじゃないと考えを改めることはなかった。


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