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残機制の生活、

 酒を飲んで脳をバグらせているので、脳がバグったよう話を書きたい。つまり、くだを巻く。ベラッベラと途方もないことを繰り返し、自身にしかわからぬ満足感を得る。これが、くだを巻くことの本質であろうなと思う。しかしながら、今はそのようなことはどうでもいい。今問題なのは、僕の人生の中で残機性を取り入れていることにある。
 スーパーマリオをプレイしていると、落下や敵に接触などで命を落とす場面がある。その命を落とした後に、(マリオ)✕3という、後三回、後三回死んだらあんたには後がないよ。Point of No Returnだぞ、とキチンと画面転換で連絡をしてくれる。なんと、ありがたいことだろうか。死期を明確に伝えるとは、神にでもなったのだろうか。
 日常における残機制の活用だが、これはどういうことだろうか。答えは簡単で、今日の僕は今日のままで終わりえを迎え、明日の僕は明日の僕へと街を闊歩する。そのために残機性は必要なのである。
 先ほどの内容を持ってして、何を言っているかわからないという言説は生まれないだろう、なにせ僕たちが残機性で世界を回してる。その生まれ落ちた残機が、記憶を保持し、当初の信念を破らずにいきてくことは、この世界にとって良いことであるのか。答えが出ぬまま沈んで沈んで沈んで。

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