酒力が足りない
酒力が足りていない。知らない間に枯渇してしまったみたいだ。
酒力とはなにか。説明が難しいのだが、タバコが好きでばっかばか吸っている人間が「ヤニが切れた!」と喚き散らしているようなものと似ている気がする。いや、決して中毒ではなく。飛行機の搭乗口直前に「パスポートがない!」と慌てふためいている感覚に近い。つまり、めちゃくちゃ危機感を覚えているというわけだ。
ここ最近、体調に気をつかって酒を飲むタイミングが無かった。インフルエンザを患って以来、k等だが本調子を取り戻さない。これが大変に辛く、何かあったら咳が止まらなくなり、呼吸困難に陥る。呼吸困難に陥るとどうなるか。そのまま、浄土へと直行することになるだろう。そんな事態は避けたいので、酒を飲まないという選択肢を取らざるを得ない。
選択肢がない生き方は大変に辛い。酒を飲む飲まないでは無く、酒を飲まないという選択を選ばざるを得ないし、酒を飲まないならいつもの日常を過ごさざるを得ない。僕は非日常を日常の名で求めているはずなので、この日常の中に収まることは大変に辛い。酒を飲んだら非日常に行けるんですか?というヤワな質問には、「酒を飲んで脳がバグった状態は日常と言えるんですか?」という問いを返してやりたい。酒を飲むことを特別視していない人間は、酒を飲むことを軽く見過ぎだし、酒に対しても失礼であることを心に刻んでいてほしいものだ。
「脳をバグらせる」ということは、日常的に培ってきた観念を打ち捨てることであり、酒に酔った状態から自身の哲学を一から形成することになる。ことから、酒を飲むことは頭痛が痛すぎる二日酔いとか飲みすぎて飲みすぎて嘔吐とか、フィジカル的な肉体的なことではなく、酔っていない状態の観念を酔っている状態の観念がねじ伏せるメンタル的、あるいは精神的な行動とも取れる。いいですか、酒を飲むことをは肉体的ではなく、精神的なことでございます。
巷では「酒に酔った状態が人間の本質を表している」という言説が流行っているが、僕はそれに対してNOを突きつける。酒で脳がバグった状態の人間を本質というのであれば、人間は理性を持たぬ野蛮な動物と証明しているようなものである。人間は長い時間を掛けて、う物的な野蛮性を廃して、コミュニティとしての平穏を望む理性という英知を獲得した。
その理性は今生きている中で常に動作しており、他者に対しなにか酷いことをしようと思ったら、理性がブレーキの役割を果たすだろう。そのブレーキがあるからこそ、人間社会が成り立っているわけである。
して、その獲得した英知・ブレーキを酒ごときで無に還すことができるとは到底思えない。それだけ時間を培って得た観念は一つの事象ごときで揺らぐはずがないからだ。
「酒に酔った人物の粗相を何度も見たことが有る」故にこの言説は信じることができない。というの、大いに賛成する。酒に酔って粗相をする人間が終わっている。それは僕も含まれるのだが。
しかし、はっきり言うと、「酒に酔ったから」を言い訳にする人物は元々そういう価値観を持っている人物なのだ。その人物を指して、「酒に酔った状態〜」という言説を振りかざすべきではない。あまりにも振りかざし過ぎると、酒が飲めない人間が羨んで作り上げた虚構のようにしか思えなくなってしまうので要注意だ。
自分の首を強烈に絞めチアノーゼに達したところで、なんの話だったか思い出そう。酒力が足りていない、という話だ。元は「酒が飲める状況ではない」から創作を書こうと思っていたのに、なぜこんな自分よがりの言説に発展してしまうのだ。もう仕方がないので踊ることにする。ジャミン、アイワナワジャミンビーーーーウィジューーー。お粗末。
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