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メタバースに逃げるのだ

 『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』という本を読んだ。本の内容自体には突っ込みどころの多い内容であった(あえてそういう意図にしているかもしれない)けど、前々から気になっていたメタバースについて知見を深めるいい機会になったと思う。メタバース、到達してみてえ。
 して、なぜメタバースに興味を持ったのかというと、肉体からの魂の解放とは何かと考えた事があるからである。
 いきなりスピッた話ですか?心が寂しいのですか?と、心配混じりに問われそうな話題であるが、僕は寂しくもないし合成麻薬服用でラリってもいない。単純に、肉体は魂の入れ物だと考える宗教的な思想と、ヘッドマウントディスプレイを介して仮想現実へアクセスする様に何か親和性を感じたからである。
 メタバースとはなにか。詳しい説明は面倒なのでするつもりはないが、肉体という現実の柵から抜け出した精神はもう一つの世界に行ってパーティーナイトできてマジ最高、という認識で構わないと思う。肉体という現実に囚われずに自身の都合のいい感じに形成された世界は当に理想郷、ユートピアと言っても差し支えがない。俗的に言ってしまえばむっさヤバい世界、酒をどれほど飲んでも心地の良い酔いだけが保たれる世界、みたいなことである。
 して、肉体からの解放とは何かと言うと、プラトンが言うように、肉体は魂の牢獄であり、肉体から開放された魂は美のイデアがうんたらかんたらなのである。これは本当に意味がわからないので自己解釈且つニュアンスで伝えるのだが、なんでもかんでもが美しくて心地良い世界は酒を飲んだ時の一番気持ちの良い酔いと同じでマジ最高だよね、みたいな解釈で良いと思う。多分。怒られそうだけど。
 今のインターネットは自己承認欲求、自身の居場所を見つけ、誰かに認めてもらい、隙だと行ってもらう場所の局地になっている。しかし、それを遮るかのように罵詈雑言や誹謗中傷が蔓延り、嫌でも知らない誰かに対する非難が目につくようになっている。それを観測することが好きな人がいいかもしれないが、嫌いな人は承認欲求の満たしを阻害された気持ちになり最低な気持ちになる。その最低な気持ちを抱えたまま今のインターネットに参画するのはあまりにもデメリットが大きい。ならば、どうするのか。自身のことを認めてくれて、自身には関わりのない非難が目に入らない桃源郷を目指すはずだ。その桃源郷に達する手段の一つがメタバースであると考えている。
 これからの未来に別世界を想像するということは、何かしらの鍵になっているかもしれない。そう思い僕は今日も酒で桃源郷を目指すことにしよう。

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