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沖縄方言『はっさ、これなんかよー!』のこれ

 今働いている事務所ではラジオを垂れ流して業務に励んでいる。この何の中身もないラジオ音声のおかげで、なにも音声がなくシンとした中でキーボードの音だけがパチパチと鳴っているだけの空間で働くよりは大分マシになっているのだが、ラジオから流れる番組はFM放送ではなくAM放送なのだ。そう、AM放送、中波放送なのだ。
 いや、FMだろうがAMであろうが別になんだっていい。ラジオ音声があるだけで働く空間に誰かが常に話続けているという彩りが加わり、無音の中で規則正しく鳴り響くキーボード音を聞き続けて発狂寸前に陥るよりかは大分マシである。しかし、しかし。AM放送なのだ。
 AM放送はものすごい。二十四時間四六時中繰りだされる話題は常に地元 沖縄のことについてだ。今働いている事務所の勤務時間が9時から18時と九時間も拘束され鞭を打たれまさに馬車馬の如く勤労せしめているのだが、その9時間延々と沖縄のことを話題に取り上げ放送している。それも三六五日、一年間休まずにだ。いくら沖縄が独特の形態を持しているからと言っていつしか枯渇するのではないかと思っている。つかもう、僕は死ぬほど飽きている。頼むからお昼ぐらいは「坂本美雨のディアフレンズ」ぐらい聴かせてくれ。FM放送、超短波放送を聴かせてくれ。因みに、明日のゲストはハマ・オカモトらしい。うっらやましー。こっちは常連ラジオリスナーのセクハラまがいなハガキを聴いているというのに。
 しかし、AM放送の番組すべてが嫌というわけではない。中でも沖縄民謡だけを流し続けている番組は最高にCOOLだ。しかも、60年間同じ形式を崩すことなく続けており、しかもネットが発達したこのご時世において葉書だけでしか曲のリクエストを受け付けていない。COOL、COOLすぎる。だが、番組パーソナリティはほぼほぼ沖縄方言で話すため、ほとんどが理解できない。つか、民謡も方言しか話さないので曲も含め一ミリも理解できない。声の抑揚だけでなんとなく「なんかいいこと言ってんだな」とか「なんか悲しいこといってんだな」ぐらいの理解しかできない。おかしい、産まれも育ちも沖縄で間違いないはずなのに。
 民謡の番組以外にもいいところはもちろんある。とある番組のコーナーが切り替わる際に流れるジングルで「はっさ、これなんかよー!」と言うだけのジングルがあるのだ。これがものすごくいい。意味を書くならば「あんたら何してんの?」という意味なのだが、これをちょっと強めの口調で発すると呆れのニュアンスが含まれるようになる。これがものすごく面白い。そもそも、人間を指す言葉として「これ」が採用されていることが面白い。人間をこれという指示詞で表現しているのだ。人間を物かなんかだと思っているのだろうか。僕もよく使うのでもしかしたら思っているかもしれない。
 更に言うと、沖縄方言では人間を「これ」と言うこともあるが「あれ」と言うこともある。使い方としては「はっさ、あれなんかよ」という感じだ。これも右に述べた呆れのニュアンスが含まれていることが多い。含まれていることが、と書いたのは、だいたい呆れが含まれているような場面で使用されることが多いからだ。呆れが含まれる存在を表す言葉としての「これ」と「あれ」。「これ」は心理的・空間的に近いものを指す言葉で、「あれ」は心理的・空間的に遠いものを指す言葉であるということも加味すると、使用している人間にとって関連人物の距離感がなんとなく透けて見えるような感じがしてかなり面白い。
 して、「これ」「あれ」ときたので「それ」もあるのだろうと思うのだが、ない。「それなんかよ」とか全然聞いたことがないし、使ったこともない。なぜか。人間はものではないので「それ」というのはちょっと憚られるつぅか、ね?
 なんの話だっただろうか。AM放送の話だ。つまり、つまりだ。今宵の肴はキンミヤ焼酎と鰯で過ごそうかと思います。あぎゃん。

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