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旅の情緒と書いて旅情といふ

 旅行に行っていた。茨城に言って東京に、計4日間。それが原因で更新を少し止めていた。いいじゃないか、旅行のときぐらい文章のことを考えなくても。お陰でとても充実した旅行でした、オホホのホ。
 初めて留まった北関東の地は、いい意味で時が止まった雰囲気に包まれており、どこに視線をやっても懐古的な気持ちになった。水戸・勝田のベッドタウン感や潮の香りが鼻腔をくすぐる大洗、土浦に残る昭和的な世俗、気がつけばどこかしこをぶっ飛ばしている暴走族。目に入るどれもこれもが新鮮で心を踊らせるものばかりであった。
 以前、千葉市に言ったことがある。都会的ではあるけど、時代に追いついていない先進感が心地いいなと感じたのだが、茨城ではそれと似た気持ちになった。ノスタルジーと呼ぶには先進的すぎて嵌らないが、かといって都会と呼ぶには少し過度すぎる。そういった微妙で良い塩梅が心地よさを感じさせるのだ。
 茨城に行ったのは、どうせ旅行に行くのであれば東京以外にも行ってみたいな、とちょっとした気まぐれが起因だった。幸いなことに、茨城で会ってみたいなと以前から思っていた人がいたのでこの機会にと思い切って声を掛けてみた。会ってみると想像以上に気の合う人で本当に嬉しい気持ちになった。今回の旅行が良いものだったなと思い返すのは、大半がその人のおかげである。簡易ですが、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 して、旅行の最中には文章のことを考えなかったと書いたが、それは少し嘘が混ざっている。例えば、今回の初日に宿で文章を書こうと思い筆を走らせてみたのだが、なぜか自身の文章が軽いものだと感じてすぐに書くのを辞めてしまった。何故だろうかと、思い返してみると、どこかインスタントさを感じていたのではないかと思う。旅で感じた情緒を旅情と書くのだが、その旅情は時間をおかずに感じたその場で認めていいのだろうか。良いに決まっている。その時その場で感じたことの鮮度は時間が断つほど傷んでいく可能性がある。なので、すぐに文章にして拵えたほうがいい。しかし、その日の僕はその行為にある種のインスタントさ、つまり即時的な消費を感じてしまい書くに書けなくなってしまったのだ。即時的な消費行動で今後の人生に関わるやもしれない情緒をいとも簡単に扱っていいのだろうか、仰々しく書いたがその時は大袈裟なぐらい情緒的になっていたのだ。それに陥った原因の一つとして、その日の酒が猛烈に美味かったこともあるだろう。多分。
 したら別のことを書けばいいのでないか、と思ったが、完全に気分は旅行。旅情緒。旅情。そのことで頭がいっぱい故に別のことを考えるのも難しい。そうなれば、文章のことなどキッパリと忘れ旅を楽しむことに専念した方が良いだろう。旅で感じた情緒はこれから思い出し、整理も兼ねて文章を拵えることにしよう。そうなれば、幾ばくかのインスタントさは薄れ、その日限りの新鮮さではなく、寝かして寝かした熟成さも伴ってくるのではないか。そう考えると、明日拵える文章はどういった顔になってくるのか。これから少し楽しみになってきている。

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