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街路樹を殴る中学生 in tha 夕暮れ

 影響を受けやすい質をしており、良いなと思うものがあればすぐさまに同化願望が湧き上がり、その境地に至ろうと真似をする。だが、体外は失敗や碌でもない物に変貌し中途半端に終わる。生活は此れの繰り返しである。
 話は変わるが、中学の思い出といえば骨折に限る。これは部活動や勉学、課外活動などに粉骨砕身取り組んだという意の骨折りではなく、身体的に骨折したのだ。それも街路樹を殴って。実に若くて蒼い初期衝動的な行動だと思う。
 野暮とわかっていながら付言するが、公共物を破壊するというのは立派な犯罪行為でありどんな理由があっても行うべきではない。だが、僕は殴るに至った。立派とは言い切れない貧弱なガジュマルを。目一杯殴った。そして、骨折するに至った。骨折した箇所は薬指と小指、手の甲。貧弱なガジュマルはじぃとも揺れていなかった。よくギャグ漫画などで「骨があらぬ方向に曲がっている───」という表現があるが、まさにその通りだった。薬指がU.S.A.、小指がU.S.S.R.の方向を指していた。つまり、緩やかなY字を形成したということだ。
 なぜ街路樹を殴ることに至ったのか。公共物を破壊するほど嫌なことがあったのだろうか、それとも、突然に魔術的な力を習得しその力を試してみたが為に公共物を破壊しようと思ったのだろうか。残念ながらどちらでもなかった。中学生の僕は、部活動の部室でサボりながら読んだ『グラップラー刃牙』にひどく影響を受けていたのだ。
 『グラップラー刃牙』。少年 範馬刃牙が強者を求め多くの武士と拳を交わす漫画作品。これがものすごい作品で、血湧き肉躍るという表現がピッタリと当てはまるほどに興奮を覚えるのだ。拳で骨を砕き、脚では肉を裂く。鋭く磨き上げた己の方法で相手を破壊に追い込む様は、時が経った今読んでも興奮する。更に凄いことに、この作品で覚えた興奮は冷めることなく脳内でアドレナリンとして変換され、ものすごい温度を保ったまま想像を活性化させる。活性化された想像力は何を創り上げるのか。それは『物凄く強い自分』である。
 想像の中で磨き研磨された『物凄く強い自分』は、師範代レベルで武術の使い手であるし、徒手空拳でクマをも圧倒するような人物である。自我をもって以来、対人戦では負け無しで泣く子も黙る悪鬼羅刹である。だが、其れは想像の中での話であり、現実の自分と比べてみるとどうであろうか。現実の中学生である僕は、性欲と自己顕示欲が芽生え始めたそいこいらに居るような童。言語化出来ない抑圧にルサンチマンを抱えたふりをした阿呆である。とても想像上の自分には追いつけるべくもない。だが、どうしても考えてしまうのだ。「こんな自分でもいざとなれば街路樹ぐらい破壊できるのでは?」と。特に身体を鍛えることも無く、拳の握り方すら知らない餓鬼がなぜか破壊行為に自身を持っているのだ。
 もちろん、実行した。その結果、薬指がU.S.A.、小指がU.S.S.R.の方向を指すという時代遅れな冷戦状態を作り出してしまったのだ。
 思い返してみれば、この時代から既に影響を受けやすい質を有していたのだと思う。今でも『グラップラー刃牙』を読めば物凄く強くなったと錯覚するだろう。だが、破壊行為に至るかは別問題だ。なにせ、両親にしこたま
叱責されただけでなく、1ヶ月ほどギプスを巻く羽目になったのだから。

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