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過眠、永眠、過去の自分

 本を読んでいたらいつの間にか寝落ちており、スマートフォンのアラームで目が覚めた。時刻は朝の六時半。連絡履歴を見返すと最後の更新は二十時半となっている。ここから察するに、十時間以上、中途覚醒もなくしっかりと完全睡眠を成し遂げたということだ。勘弁してくれ、阿呆か僕は。今日でやっつけようと思っていたコーマック・マッカーシーの越境が全然進んでないではないか。
 そも、僕は寝ることがそんなに好きではない。寝る間も惜しんで自分の好きなことをしていたいし、寝ている時間をもったいないとすら思うこともある。しかし、寝ない生活を続けていると精神と身体はすぐにバラバラに砕け散ってしまう。それを防ぐために仕方がなく眠る。仕方がなく眠るのだ。GO TO THE BED。筋道はいいからとどの詰まり早く寝ろ、ということだ。
 して、昨日の僕は何を書こうと思っていたのかメモを見返してみる。律儀なことに、なにか思いついたことはスマートフォンのメモに残しておくか、紙に書いて残しておくかをしている。ほぼ毎日書いていると、いつかネタが被ってしまうのではないかとビクビクしており、その不安を回避するためのメモだが、最近は上手く機能しているかどうかも怪しい。
 それは横に置き、昨日の僕は何を書こうとしていたのだろうか。確認してみると、メモには「結婚しろとまた言われた」と書いてあった。かわいそうに、心中お察しいたします。あなたの結婚願望は塵芥如く打ち捨てられたものと公然たる事実として共有されていたと思い込んでいたものが、実際には未だ結婚願望がある人物だと認識されていたのですね。OH MY GOD。神は死んだ。
 それは縦に置き、僕は一日一日生きている自分を別人だと考えていると以前書いたことがある。これは簡単に言うと、昨日の僕と今日の僕は何かの事象に対して感じる考えることが全く別であることから、過去と今日の僕は別人であると、説いたものである。それ故に、昨日の僕は、右のような結婚をテーマにした文章を書くことはないだろう。結婚というシステムにめちゃくちゃな持論をかました上でなにかしらの結論を導くのだろう。そう考えると、今日僕が書いた文章を明日の僕が読むと、この阿呆がと一蹴するかもしれないし、なるほどと膝を打つかもしれない。そうなる可能性はかなり低いが。
 して、今日のメモを見返してみると、「仮眠と永眠の可能性についてなんか書く」とあった。書けるか阿呆が。

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