感謝はするものではない
UnsplashのTowfiqu barbhuiyaが撮影した写真
目を覚ますたびに
「毎朝、目を覚ますたびに、お前はこう言ってもいいだろう。
「目が見える。 耳が聞こえる。 体が動く。 気分も悪くない。 有難い! 人生は美しい! 」
これは、フランスの劇作家「ルナール」の名言。
あたり前に感謝するって、
あたり前がありがたいと感じるからでそうありたい。
毎朝、目を覚ますたびにと、
究極のあたり前なら余計である。
ところがである。
正直ここだけの話し、
目を覚ますたびに感謝を抱いてもいられない。
感謝はするものではない
「感謝はするものではない」とは、
少々ショッキングに聞こえる。
実は、感謝はするものではなく、
感謝ができる心のあり方を知ることなのだと。
つまり、
感謝するでなく感謝を感じることなのです。
感謝は気づき
目を覚ますたびの究極の感謝は、
そのたびにいちいち感謝しなさいではない。
目が見える、耳が聞こえる、身体が動く。
究極のあたり前に感謝する心を持ち合わせているかです。
気づいていればこそ、
感謝しなさいと言わないまでも感謝してしまうのです。
今回のちょっとまとめ
「ありがとう」の感謝をいくらキャッチボールしても、
幸せのホームランにはならない。
相手のボールをミットで受け止め、
受け止めたボールを相手に投げ相手が受け止める。
こんな当たり前が「うれしい」と感じられる。
その感じる心に幸せが訪れるのだ。
そうそう、
子どもさんがいらっしゃるご家庭なら、
キャッチボールたくさんやったほうがいい。
キャッチボールでもバスケのパスでも、
バトミントンでも卓球でも。
なぜかって!?
経験者だからさ。 笑
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