同期とのきまずい帰り道

「例の飲み会、人集まりそう?」そんなことだけ聞ければよかったのに、あんまり親しくない同期と一緒に帰ることになってしまった。

7月がおわる。肌を焦がす太陽と体にまとわりつく空気は、わたしが中学生だった時のそれとは明らかに違っている。あの頃もあついあついって言いあってたけど、だったら今の「これ」はなにになるんだろうなぁとか考えた。だけど語彙がなさすぎるから、うっかり「くそあちぃ、、、」と言ってしまって、ミスったなと思った。

駅につくまでなに話そう、頭をフル回転させながら、そういえば夏らしいことってしたかな、と薄ぼんやり考えた。違うこと浮かべてる時点でフル回転ではないんだけど、突っ込むのはなしで。自分が「慣れてない自分」になってる時、現実逃避的な感じでまったく別のことを考えてしまうの、たまにある。

この高すぎる気温に問題意識を感じながら、結局考えてるのって、わたしのこの小さな世界のことだ。温暖化大変です、なんとかしなくちゃね、と思いながら、誰かがなんとかしてくれるとか期待している。だけどわたしは能天気に生きているわけでもなくて、ただ必死に、この小さな世界を守ろうとしているだけ。小さな世界で起きる問題ごとに、対応するのに追われているだけ。

だけど小さな世界の治安を守ることにつとめていたら、不意に入ってくる大きな問題ごとに対応できない。仕事をしている以上、わたしの心に大きな問題ごとが介入してくるのはありえることだ。いちいち心を波立たせてたら生きてはいけない。でも、小さな世界の問題ごとだって、わたしにととっては大きなことなのに、大きな世界での大きな問題ごとなんて、わたしの心ひとつでは受け止めきれない。甘いのかな、と思う。いやだと拒絶しているのではないから悲しいし苦しい。ただ、わたしは悲しく思ったり、苦しく思ったりする立場ではないと理解はしている。

隣を歩く同期と、そんな悩みを共有するわけにはいかないのもわかっている。悩み、と言えるほどの名前もない、このひとりよがりな感情。うわっつらの会話を繰り広げながら、この会話だって心の治安を守るための術なんだと言い聞かせた。

やっと駅についた。それなりに並んで歩いたわりに、聞けた相手の情報は「もと卓球部で、これから卓球のサークルに行く」ということくらいだ。お疲れ様と言いあって、おたがい別の電車に乗った。電車に乗り込むと同時に安心と疲れがふきだしてきたのは、この暑さから逃れられたからなのか。それともやっぱり、わたしの小さな世界に平和が戻ってきたからなのか。

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