すばらしいほど自己愛にまみれた高校時代の恋

好きでもないのに、あなたが好きだから聴いていた。

わたしは音楽の好みがだいぶ偏っている。流行りの音楽をかじる程度のこともせず、ただひたすらにハロプロを聴き続け、ついにはシャ乱QやWinkに手を出すなど、時代に逆行しまくっている。そんな音楽の趣味は昔からだけど、実は高校生の時は、ちょっと違う曲も聴いていた。

わたしには好きな人がいた。高校1年生の時に同じクラスになった。工芸の授業で席が隣になって、話すのがとても楽しかった。わたしは工芸がありえないくらい下手だったけど、その時間がくるのが毎週待ち遠しかった。たぶん、それなりに仲はよかった。

2年になると、クラスがものすごく離れた。それだけじゃなく、好きな人は、わたしと同じ部活の美人の女の子とものすごく仲よくなった。正直言って、いやだった。わたしには、何も勝てるところがなかったから。クラスが離れたことをきっかけにして、わたしは好きな人と、なんとなく距離をおいて過ごすようになった。「最近おれのこと避けてね?」ってLINEがきたりした。避けてないよって返したりした。

好きな人と話せなかった間、好きな人のLINEミュージックを聴いて、好きな人のことを思い出していた。はっきり言って、気持ち悪い。でもそれが、好きな人を感じられる唯一の手段だった。LINEを自分からする勇気もなく、直接話しかける度胸もなく、美人な同級生をただ妬んでいるだけの心のきたないわたしには、それしかなかった。

ハロプロ以外の曲に興味はなかった。だけど、あなたが好きなら、どんな曲でも好きだった。そんな時が訪れるのかわからないのに、「この曲わたしも好きだよ」って言えるように、何回も何回も、繰り返し聴いた。わたしはいくじなしだって、曲を聴きながら泣いた。

「蝶々結び」に、「カタオモイ」、「イロトリドリ」に、「夜空」に、「八月の流星」。高校3年生で振られてから、ずっと聴かなくなっていたけど、社会人になってから、久しぶりにプレイリストに入れた。

涙は出てこなかった。高校生のあの時、わたしは確かにあなたのことを好きだった。だけどその気持ちは、きっとすばらしいほどの自己愛だった。無関係な人に嫉妬して、勝手に身を引いて、あなたが好きな曲を聴いては、かわいそうな自分に浸っていた。結局かわいかったのは自分で、自分以外の人のことを考えてもいなかった。

わたしはやっと、振られてよかった、と思った。高校3年生のあの時は、振られたくやしさを食欲と受験にぶつけることしかしなかった。社会人になって、あなたがあの頃好きだった曲を聴いて、はじめて自分のあほさを知れた。ありがとう、と思うのもおこがましいくらいのあほだった、と。

またわたしは、いっこ学んだ。勉強が得意なくせに、恋愛はちゃんと失敗して、しかも時間が経たないと学べない。だから今日だって今だって、先のわたしからしたら、とんでもないあほなんだろう。

でも、そんなあほなわたしを見捨てない人がたくさんいる。ということは、ちょっとくらいあほなわたしもかわいくないか。愛してよ、あほなわたしを、、、。あほなわたしも、、、。

そんなことを思うくらいには、自己愛の強さは今も昔も変わらないと気づいた。だけど今度は、今度の恋愛は、振られてからあほさを目の当たりにするなんていやだ。この際LINEの頻度とか、電話するとかどうでもいいから、わたしがかしこくなるまでずっと一緒にいてよ。

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