なぜかわいくなりたいのか

わたしの人生のテーマは「かわいい」だ。ただそれは、能天気マインドからくるものではない。

かわいくなりたいのは、誰のことも嫌いになりたくないからだ。

わたしは、すぐ人と自分を比較してしまう。人の良いところを器用に見つけ出しては落ち込んでしまう。誰しも良いところはさまざまあるが、わたしはとりわけ、人の「かわいい」部分を見つけ出して、自分の「かわいくない」部分と比べてしまう癖がある。

嫉妬、それは自分の中から一番消し去りたい感情だ。誰かを妬んで良いことなんてひとつもない。嫉妬をする自分を見つめては、なんで自分ってこんなに嫌な人間なんだ、と反芻するだけだから。

誰かと比べて嫉妬しないようにするためには、自信をつけなくてはならない。どうしたら自信がつくのか。ここでわたしの人生のテーマに立ち返る。そう、「かわいい」だ。わたしは結局、自分がかわいくなければ自信を持てないのだ。ちやほやされたいとか、モテたいとかいう気持ちはもちろんある。だがそれを超えて、わたしは自分に自信を持つために、「かわいい」を追求する必要があるのである。

人は見た目じゃない、とよく言われるが、正確には、見た目「だけ」がすべてじゃない、だと思う。見た目が人に与える印象はあまりにも大きすぎる。子どもの頃と違ってバカ正直には出さないけれど、社会人になっても、見た目は人の判断基準になっている、と確かに感じる。悪いことだとは思わない。わたしもその考えに加担しているから。

そして、見た目で人を判断することに対して、反旗を翻そうとも思わない。なぜなら、見た目が人の性格をつくっている部分もあると思うからだ。美しい顔の人の多くが、朗らかな性格であるように。一般的に言って美形ではないわたしが、すぐ人を妬ましく思う卑屈な性格であるように。

だから、わたしはかわいくなりたい。かわいくなって、自信をつけたい。みんなに優しくなりたい。常に余裕のある人になりたい。

誰のことも、嫌いになりたくない。

これはわたしが、わたし自身で決めた道だ。誰かに貶されたからとか、悪く言われたからとか、外野のせいには絶対しない。優しくなるための道が「かわいくなること」だと自分の手で見つけたなら、それが間違っていても、自分で責任を取らなくてはいけない。わたしのコンプレックスに向き合うのは、わたししかいないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?