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「憂鬱」とは非常に便利な言葉だ

「憂鬱」というのは非常に便利な言葉だと思っている。


「何か精神的に言いようのない不安定感を覚えるが原因はハッキリとは分からない」場合の精神状態をたった二文字で説明できる。その不安定感の原因・大小問わずにまとめて表現できる。非常に便利な言葉だ。


だが「憂鬱だ」と言葉にはしても原因の根本的な解決に至らない。ずっと「憂鬱」という状態は続く。


さて、私の「憂鬱」とは何だろう?


非常に言語化は難しいが「常に泣き出したくなるような状態で喜怒哀楽で言えば哀しみの割合が多く感じる」という感じだろうか? ならばいっそひとりでワッと泣き出したら問題は解決するのかと言えばそうでもない。そもそも「泣きだしたいならワッと泣いてみなさい、さあ!」と言われて泣けるものでもない。


「泣きたい」というのは感情の抑圧であり、「泣く」というのは感情の解放である。つまり「私は何かに感情を抑圧されている」ということになる。何にだろう? そもそも何の感情を抑圧しているのだろう?


まず抑圧されている感情の正体から調べた方が早そうだ。箇条書きのように挙げていけば、自分は誰かに必要とされたい、誰かに喜んで貰いたい、誰かを楽しませたい、そんなところだろうか? 非常に危ない欲求だ。「お客様の笑顔があなたの給料」と宣う飲食店経営者に利用されかねないネギを背負ったカモの状態だ。ただ幸いなことにこの欲求を満たす体力と気力が私にはない。幸いなことなのかは分からんが。つまりこれが「抑圧されている」という状態である。簡単に言えばこのうさぎ「承認欲求に餓えているが体力気力もない上に認めてくれる人もいなくて悲しい」と言っているのである。なるほど、原因は分かった。なんて傲慢なうさぎだ。


まず「誰からも認められていない」という奴の記事はこうやって読まれることもない矛盾に気付け。もう疎遠になった人達も多いが有難いことにこんな駄文を読んでくれている。たぶん私が死ねば少しは悲しむ人たちだ。これだけで十分に承認されている。絵や漫画を描いて見せればXで反応が貰える。十分に承認されている。これ以上に何を望む? 欲すれば底はないぞ? 今ある幸福を噛みしめることが出来ない奴に幸福など来るか。こうして自己分析して今ある幸福に気付けば体力気力はいずれ回復する。その後に自分の技術を還元して大事な人に恩返しをすればいい。母親でも友人でも絵の師匠でもいい。そうやって優しさや幸福は循環される。まず自分にある幸福を噛みしめながら英気を養え。


この精神的うさぎ、えらく口が悪い上によく喋る。


ただ自分の中にある「憂鬱」の正体とその除去方法が自己解決した今、心の中の泣き出したい衝動というものは見事に消滅している。たがこの「憂鬱」はまた再発する。庭の雑草のように刈ってもまた生えてくる。憂鬱だ。心理状態を表すには非常に便利な言葉だが、悪友のように長い付き合いにはなる厄介な言葉に思う。


著・社会不適合うさぎ
2024/06/27

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