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なればこそ、女たちの苦しみが輝く

以前プレゼントされたBluetoothイヤホンを重宝している。
耳にはめれば、室内の隣の部屋程度までならスマホ本体から遠ざかっても支障ない。
音量を憚る深夜や早朝にも味方になってくれるけど、明るい日中にもよく使う。
動き回っても水仕事の間もコードがまとわりつく煩わしさもなく、ラジオや音楽の音声がついて来てくれるのがいい。家事の間こそBluetoothイヤホンは便利だ。

もちろん部屋の外にも持ち出して使うけど、小さいからしょっちゅう荷物の中で見失うし、慌てていると忘れてくることもままある。
1時間は歩き回るつもりで外に出てからイヤホンを忘れたことに気づくと、ちょっと途方に暮れる。充電を忘れた時も以下同文。
あるアンケートで、女性は外出時、Bluetoothイヤホンを片耳だけ使っている場合も多いと聞いた。
無防備な見た目で歩いていると、よからぬものを招く場合もあるだろう。
私も日暮れどき以降は使わない。

ある日の深夜にも、Bluetoothイヤホンを使いながら聞いたラジオで「イエス以外はノー」という言葉に接した。
その意味するところはググって欲しいのだけど、私は今「源氏物語」の現代語訳を集中して読んでいるので、千年前の平安男性たちにこの理屈をぶつけたらどうなるだろうと思う。
令和の倫理に照らしてみると、性犯罪にあたらない出会いが一向に見当たらない源氏物語。
面白いけど、読んでいると疲れる。源氏物語は好きだけど、主人公の光源氏は嫌いだ。お前が諸悪の根源だ、とちゃぶ台をひっくり返したくなる。
だが、光源氏がクズであるほど、女たちの苦しみが輝く。
主役を推せない物語は、不条理が複雑なうま味を醸す。

源氏物語に疲れたら、枕草子を読むのがいい気分転換だ。清少納言の筆致は明るい。
現世では報われない女たちの無常を書いた源氏物語が事実上の勝者側の文学で、この世の「をかし」=「素敵」を書き綴った枕草子が敗者側の文学であるのが、もう面白い。

枕草子と源氏物語について、どこで読んだのだろう、ある解説に触れた。
書名も筆者も忘れたけど、次のことはいまだに心に残っている。
――平安の女たちは、決して、断じて、絶対に、出世しなかった。
だから、集中して執筆に取り組むことができた。
なればこそ、千年を輝き続けるこれらの平安文学が生まれたのだ、と。

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