その瞬間のために備えておく
私、補充が好きかも、と自覚したのはいつだろう。
以前一人暮らししていた時、洗濯用や食器用の洗剤が減ってくると「おっ♪」みたいなテンションになる自分がいた。振り返ると、洗剤の詰め替えが明らかに好きだったな。
よく聞く「急いでる時に限って洗剤がなくなってンアアッ!!(怒)てなる」みたいなこともあんまりなく、楽しいから早め早めに詰め替えることが多かった。
帰ったらまず真っ先に、スマホを充電。
スマホだけでなくBluetoothイヤホンや、出先で充電した日はモバイルバッテリーも、次々とケーブルに繋ぐ。
入れ替わりに立ち上げたタブレットの画面の右上、電池マークが満タンになってると「よしよし」と思う。
たまにうっかり充電忘れで「46%」みたいな数値になっているのを見ると、なんかちょっと面白くない。
職場にスティック飲料を持参している。粉末煎茶、カフェオレ、甘めのココア、各種。使い捨ての木製マドラーも。お昼休憩の楽しみだ。
週の始めに、百均の薄いポーチに1週間分のスティック飲料を補充する。使い捨てマドラーも同じ本数を入れる。
ごく軽いものだけど、確かに少しの重みと嵩を増したポーチをランチバッグの外側ポケットへ。週と週の境のルーティンの一つ。
愛読書の一つに「十五少年漂流記」がある。船に乗った15人の少年たちが島に漂着し、そこで生き抜いていく物語だ。
島に乗り上げた後、最年長の14歳(最年長でも14歳!)のゴードンが、この先の自分たちの生活のために船の備蓄を調べるシーンがある。
缶詰はどんなに節約しても残りこれくらい、乾パンは相当たくさんある、毛布は足りてる、勉強するための紙類には困らなさそう、銃弾(!)もだいぶある、といったような具合。
私はその備蓄を調べるシーンを、何度も何度も何度も繰り返し読んだ。時々そこだけ読んで満足して本を閉じることもあったくらいだ。それを踏まえていつしか悟った。つまり私は……備蓄萌えなのかもしれない……(神妙な顔つき)
補充する、もそうだけど。
そもそも、備える、ということにまずすごく関心があるのかもしれない。
東日本大震災を被災した経験もあるとは思う。あれ以来、防災用品のネットショップはたびたび延々と眺めてしまうし。
非常用持出リュックは半年に一度点検して、持ち物はだいたい把握している。
慎重な言い方をしなければならないのは承知の上で、それらの行為に、少しポジティブ(陽)な感情が起こることを否定できない。
災害を期待しているわけでは決してなく、災害は起こりうるからこそ、それに対して「備える」という行為の絶対的正しさ(と言い切っていいかわからないけど)に積極的にあたれることにどこか胸がすく、というか……。
うまくいえない。いえないけど、できれば備えたほうがいい。備えましょう。
「十五少年漂流記」、少年たちのリーダーを決める選挙に唯一黒人のモコは投票できないという描写が当然のようにあったりして、今はどんな扱いの図書になってるかちょっとわからないけど、私には大事な一冊。
前述の通り、最年長のゴードンは船の備蓄を調べたり、漂着した島がどういう場所かしょっちゅう仲間と議論したり、あれこれ思い巡らして悩む描写がよく出てくる。最年長の彼でもやっと14歳という少年たちの先行きを憂う、当然のこと。
そんなふうに悩むゴードンに主人公ブリアンがかける言葉、作中私が最も好きな台詞だ。
「必要が教えてくれるさ、ゴードン!」
そうだ。備えても憂いても、完璧な対策など到底取りきれない。だがいざなったら、必要こそが教えてくれるのだ。何をすべきなのかを。
私は本当は、その瞬間のための心構えができている人間になりたいのかもしれない。
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