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大学2留した底辺人間ができるまで


はじめまして。
タイトルの通り大学2留した、社会不適合者人類です。
この度、気持ちの整理がてら、これまでの人生について振り返ってみようと思い、このnoteを投稿した次第です。

ざっくり自己紹介・経歴

・性別 男
・関西のまあまあ都会なところに爆誕。
・自分の家は、ちょっと裕福な家庭。
・父母ともに、所謂良い大学卒。
・妹が1人いる。
・性格は所謂陰キャ。
・踏ん張りどころで踏ん張りきれないタイプ。
・ビジュアルはあまり自信なし。

中学までは普通

私立の進学校の高校入学

雰囲気に合わず高校中退

某通信制高校入学

通信制高校卒業

某地方国立大 工学部に進学

2年生の実験のレポートがこなせず、2留

3回目の2年生頑張ってみる(←イマココ)

とりあえずざっくり経歴を振り返ってみました。高校中退、大学留年と人生で2回やらかしてます。人生のレールに乗れず、毎日死にたい気分でいっぱいです。以下より、詳しく振り返ってみようと思います。

誕生〜幼稚園卒業まで

母親によると、2歳くらいまで全然喋らなかったそうです。なんかこの時点で人生の雲行きが怪しくなってきたような...。ちなみに喋り出したらよく喋るタイプだったそうです。あと電車がすごい好きで、列車の名前や駅名をめちゃくちゃ覚えてたみたいです。でも小学校入学あたりで記憶がリセットされたのか、今は全く覚えてなく、電車にも興味がないです。

小学校時代

普通の公立小学校に行きました。
学校の先生からの評価は、インドアでおとなしい真面目な子という感じです。
この頃からゲームにはまり、将来の夢はゲームのプログラマー?でした。

青春?してた中学校時代

普通の公立中学校に行きました。学校の先生からの評判は、小学校と似たような感じです。成績はクラスで3番4番くらいのちょっと頭が良いくらいでした。
部活はコンピューター部でした。沢山とは言えませんが、ここで友人ができました。コンピューター部の友人とは、今でも遊んだり話したりします。また、この時にオタクに目覚めました。ゆっくり実況から東方に出会い東方原作の弾幕STGにはまったり、某ネトゲにはまったりしました。コンピューター部の友人と、それらを部室でやったりしてましたね〜。
というように、中学校のときは絵に描いた青春ではないですが、結構楽しくやっていました。今まで生きてきて一番楽しかった時間だと言えます。

そして、高校受験についてですが、親が「進学校に行け」と言っていたので、特に何も考えず、県内1の公立高校と滑り止めの私立の進学校を受験しました。結果は、滑り止めの私立の進学校に行くことに。落ちた理由は受験勉強をしなかったことと、副教科(体育等)の内申点が低かったことです。ちなみにこの滑り止めの私立が辞めた高校です。
この時に、友達が行った工業高校に一緒に行く、もしくは進学校でない普通の公立高校に行ってのびのびしておけば良かったのかなと、何度も後悔しています。ここから人生のレール大脱線ですね!

暗黒の高校時代

私立の進学校に入学。この学校、所謂「自称進学校」というやつで、校則は厳しく、宿題がめちゃくちゃ多く、授業中に寝ていたら厳しく叱責されるなどパワハラクソ高校でした。1年の1学期まではクラスで2番くらいの優秀な成績でした。しかし、優秀にも関わらず、授業中ちょっと居眠りしてただけでめちゃくちゃ怒られたりし、心が折れて不登校になってしまいました。不登校になったあと暫くは、自宅で頑張って勉強をし、良い成績を保てていましたが、学校に対するストレスでどんどん元気が無くなり、2年生1学期には退学し、通信制高校に編入することになりました。あ、友人なんてもちろんできていません。不登校だから当たり前ですけどね。
この頃から学校の先生や親への不信感から、人間不信を拗らせるようになりました。中学の友人には、高校辞めたことを今でも言えていません。

本当は普通の高校で普通の学校生活をしたかったです。ずっと後悔しています。

通信制高校と大学受験

この頃は、通信制高校で適当に課題やスクーリングをこなす&予備校で大学受験の勉強をするという生活をしていました。めちゃくちゃ金かかっとう。志望は、親からの勧めでどこかの国立の工学部。工学部なのはこれまた親からの勧めです。工学部は就職に有利だそうなので、内向的な性格&高校中退のバカ息子には適しているはずだと言っていました。昔からですが、自分のやりたいことというものが全くなく、親の言うことを聞いているだけの人間でした。なので高校も大学もミスマッチを起こしてしまうわけですね。かなしいなー。
勉強については、踏ん張りきれない性格もあり、関西の国立は無理だったので、地方の国立の工学部に進学することになりました。

コロナと大学1年

大学入学と同時期にコロナウイルスが流行りだし、1年の時はオンライン授業をこなす毎日でした。50単位近くはとれていました。知らない土地でオンライン授業を受ける毎日なので、大学に行く機会がなく、サークルも入ってないし友人は1人もできませんでした。それでも、この頃は全く問題はありませんでした。1年生の授業は負担が少なく、1年間で50単位近く取れました。外れた人生のレールに戻れたような気がして、嬉しかったです。

問題の実験レポート

2年生に上がり、本格的な学部の実験の授業がありました。この実験のレポートが超!曲者で、手書きで10枚以上のレポートを書かされる授業でした。はじめは何とか書き上げて教授に提出しました。でも、ほぼ全てを書き直しするよう要求されました。学科が全く興味のない分野なので、レポートの書き直しのモチベーションが上がらず、学校に行かなくなるようになりました。そしてモチベーションが上がらないまま2年も大学の全ての授業を休んでしまいました。
何回か頑張ろうとしたことはありますが、そのたびに実験のレポートのトラウマがあり、行けなくなってしまうのです。2年間で取れた単位は驚異の0単位です。全く出席しなかったらそうなるわな!
ちなみに学校に行かずに何してたかというと、某大人気MMORPGや某FPS等をしていました。ガチでニートやん。
親には申し訳ないというか、子供ガチャ失敗して可哀想という気持ちです。

3回目の2年生(現在)

そして現在ですが、親や学校の保健センター、心療内科等に少し協力してもらい、3回目の2年生をやってみるつもりです。正直、学科の勉強にはあまりモチベーションを見いだせないままだし、学校に良いイメージないので、正しい判断なのか微妙ですが...
ダメだったら、中退して何かしらで就職するなりら、この世からサヨナラバイバイするなりすればいいかなと思っております。
先日、問題の実験の授業に行ったのですが、その最中気分が悪くて最悪でした。やっぱりダメかもしれないなあ、という感想です。また何かあったら記事を投稿するかもしれません。

最後に

ただ、自分のあまりのダメ人間っぷりを紹介するだけのnoteになりましたね。それと、文章が読み難くてすみません...

自分が社会不適合者親泣かせダメ人間なのはよく理解しているつもりです。生きている価値がない、死んだほうがいい、この世からいなくなる方法など、引きこもり中に何度も何度も考えていました。いました、と言いましたが、今でもよく考えています。本当は親や妹に迷惑をかけずに生きたいのですが、自分にはなかなか難しく、自分に関する記憶ごと消えていなくなれたらなと思っています。これから頑張って生きるにしても、何かしらの方法でこの世からさようならを告げるにしても、今の気持ちをなんとか文章に残せてよかったです。

長文でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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