さようなら。思考のコントロール
自分の扱いの難しさをつくづく感じている。
自分の性質はある程度、理解しているつもりなのに思ったように自分を動かせないのである。セルフマネジメントとかセルフコントロールのノウハウはある程度知ってもいるが、それでもなかなかうまく自分をマネジメントできない。
例えば、僕の性質的に始めるのは得意だけど仕上げるとか細かいところを詰めるのは苦手だし、一つの物事を改善しながら続けることも得意ではない。
頭では「こうしたい!」「こうした方が絶対にいいものできる!」と思っているにも関わらず、それができないのだ。気合いと根性でなんとかすることもできなくはないが、心身へのストレスが半端ないからできればやりたくない。
コンサルタントやセルフマネジメントの専門家にこういったことを相談しようものなら「甘え」「頑固」「無駄なこだわり」などと一刀両断されて、気合いや習慣化の力で頑張る方法を提案されるだけなので、誰かに相談しようとも思わない。
とは言え、自分の扱いづらさには困っている。
ちなみに自分の中では、この自分扱いづらい問題の原因も把握できているつもりだ。
原因:思考の使いすぎ
思考を使うことに慣れすぎて、ついつい頭で物事を考えてしまう。何も意識しなくても頭で物事を考えてしまう。
ただ、自分の本心や本音は、思考ではなく体感覚や直感的なものなのでずれが生じてしまうのだ。妻からもよく「思考がうるさい」なんて指摘をされるのだが全くもってその通りだ。
だから、思考をできるだけ黙らせたいのだが、僕の思考はなかなか手強い。対処法は一応あるが、黙らせるのは結構大変。
さてさて困ったなーなんてことを感じつつ、思考うるさい問題をどうにかしようと考えていたら、大事な前提に気づくことができた。
僕はどうやら、思考の力で自分をコントロールできると思っていたようだ。
これまでの生き方を振り返ると、明らかにコントロールできていない。そして、僕の本心はコントロールを求めていない。
だけど、なぜか思考は僕をコントロールしたがっている。
この自分をコントロールできるという幻想がどうやら、僕の思考を無駄に活性化させ、思考うるさい問題を巻き起こしていたようだ。
思考=悪ではないが、使いどころが大事だと思う。
とまあ、原因に気づけたので前提を書き換えるために僕の思考(左脳)へ、手紙でも書いてみようと思う。
山本真也の思考(左脳)様へ。
このお手紙できっと僕の思考(左脳)も分かってくれるでしょう。
さようなら。思考のコントロール。
こんにちは。思考と感覚の共生・共創。
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