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知識と教養の違いから考える価値基準のつくりかた〜キプロス・エジプト旅行記:気づき編②〜

先人に学ぶことは大事である。
が、学びすぎるのもよくないのでは?

ここ数年、教養がブームになっていたようで、書店に行けば「一冊で分かる〇〇」という本がたくさん並んでいる。これらの書籍は多分野かつ広範囲の知識を身につけるためのデビューにはもってこいだと思うが、本当の意味でそれが血肉になるかといえば少し疑問が残る。

教養とは、さまざまな知識や常識がただの「情報」として存在するのではなく、知識や常識を通して、品位、人格、創造性、心の豊かさなどに結びついている状態を指す言葉だそう。さまざまな情報から自分なりのフィルター(視点や世界観)を作ることとも言い換えられそうだ。

ただ、最近の教養ブームは身につけることに主眼を置きすぎていて、情報を得ることが目的化しているようにも感じる。物知りな人であることは、生きていく上で役に立つことではあるかもしれないし、会話に使える共通言語が増えることで交友の幅が広がるなどのメリットもあるのだが、それが教養の定義にある品位や人格、創造性、心の豊かさにつながるかといえばそうとも言えないだろう。

今回の旅の中でも、歴史という「情報」を知ることで、その「情報」のフィルターがかかってしまい、まっさらな自分の感性が一部封印されているような感覚があった。

例えば、僕が「呼び出された」と感じたキプロスのアポロ神殿の中の一幕

僕はこの石に対して神聖さを感じた。広い敷地の中でも一際エネルギーを強く感じたところだった。もしかしたら神殿の中でも聖なる場所とされていたのではないか?くらいの感覚を持った。

しかし、アポロ神殿を離れたあとに調べてみると、この石は奴隷を繋いでいたものかもしれないことが分かった。(真意はさだかではない)

もし、この情報を事前に知っていたら、僕はこの石に対して神聖さを感じただろうか?と少し考えてみたところ、「奴隷がつながれた石」として少し斜に構えた見方をしていたような気がする。

情報があるからこそ分かること、理解できる深みもあるのだが、知っていることでバイアスがかかってしまい、捉えられる感覚や情報が少なくなってしまうこともあると感じたのだ。

人の基準に縛られていないか?

この件を通して、日常生活のありとあらゆるところで、自分ではなく、他人が作った基準で物事を見ている可能性があることに気づいた。バイアスをかけずに物事を捉えることの重要性はこれまでの経験からでも重々理解していたつもりだったが、その重要性をより深く理解したような感覚だ。

世の中には社会のルール・常識・歴史など、一般的に「正解」とされる概念がたくさん存在している。人とコミュニケーションをはかる上での共通言語としての「正解」は大事なのだが、正解にばかり縛られると自分の感性がどんどん死んでいく。自分なりの物事の見方ではなく、社会・他人基準の物事の見方が形成されてしまう。結果、社会のルールや常識の枠組みの中でしか生きられなくなる。

それが悪いことかと言われればそうでもない。ただ、「自分なりの生き方で社会に調和していくこと」を豊かさの定義だと考えている僕にとっては大きな問題である。社会のルール・常識・歴史などの”いわゆる正解”とされていることを知った上で、自分なりの視点や世界観をしっかりと持って生きていきたい。この生き方に近づくプロセスが、教養を身につけることなのかもしれない。逆に言えば、社会のルール・常識・歴史に縛られる生き方が知識止まりの生き方と言えるのではないか。

具体的にどうすればいいかを僕なりに考えてみた

教養と知識の差は、その人のものになっているかなっていないかの違いだと思っている。その違いを生むのは消化されているかどうか。

<知識止まりになってしまう情報の扱い方>

情報

理解(知識)

解釈

必要に応じて使う

<教養まで落とし込む情報の扱い方>

知識・情報

理解(知識)

解釈

自分の中に溶かし込む(形がなくなるまで消化する)

消化物と元々持っている感性や感覚が混じって、
自分独自の価値基準ができる(教養)

必要に応じて使う

この違いが社会的に合ってるかどうかは分からないが、少なくとも僕の中ではしっくり感がある。

そして、このプロセスを理解したことで、情報からくるバイアスに振り回されにくくもなるような気がしている。今なら、キプロスのアポロ神殿の”奴隷を繋がれていたかもしれない石”を目の前にしても、「それは一般論、僕の感覚では神聖な場所」と切り分けて受け取れそうだ。また、自分なりの価値基準を構築していく上でも役に立つと思う。

社会のルール・常識・歴史などの”いわゆる正解”とされていることを知った上で、自分なりの生き方で社会に調和していくこと

今回の気づきを通して、僕が考える”豊かな生き方”にまた一歩近づけた気がしてとても嬉しい。

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